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"歴史痛"の看板に偽りなし?戦国トリビアシリーズ【第四十三夜】

JUGEMテーマ:コラム



 戦国与太噺。導入部、となぜ素直に命名出来ない。(画像は斬?スピリッツより)

 

 ■七月二日のトリビア

  織田信長の上洛前、畿内に君臨した三好長慶。
 実は二度も暗
未遂事件に巻き込まれており、
 そのうち一度は兇刃を受けて負傷している。

 

 

 

織田信長をも下に見た室町幕府最後の梟雄、
その最盛期に遭遇した二度の奇禍とは


 織田信長や豊臣秀吉に知名度では劣れど、その武勲や才覚には見劣り無し。

 赤髭が事ある毎に『下人』と強調する、阿波徳島が生んだ戦国武将―――といえば、読者の皆様には既に御馴染みとなっているでしょう…三好(みよしながよし)に他なりません。

 赤髭も長慶Fanの嗜み、歴史的なゆかりのある地は方々巡り歩きました。
生誕の地・徳島県芝生
(しぼう)城跡は勿論の事、三ヶ所ある御墓も既に二ヶ所までは御参りしています。
( ・(,,ェ)・)最後の一ヶ所は京都府大徳寺・聚光院(じゅこういん)なのですが、聚光院は一般非公開。数年に一度行われる特別参拝でも、三好長慶のお墓は参拝不可能となっております。何とかインチキ参拝する手はないもんですかね(嘆息。


 



 

 

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 最盛期には主君である管領細川家はおろか足利将軍家までも京都から追い払い、名実共に『天下人』として京都・五畿に君臨した三好長慶ですが…―――実は二回も暗殺未遂事件に遇していることは、案外と知られていません。

 


 時は1551年(天文二十年)、3月4日


 長慶は一千人余りの従者を連れ、室町幕府政所執事・伊勢(いせさだたか ????〜1562 伊勢守)の屋敷を訪れました。

 伊勢貞孝は、かの北条早雲を輩出した幕府の名門・伊勢家の総領です。本来は足利将軍家に逆らう三好家とは不倶戴天の敵同士、のはずでしたが――――三好家とは共闘関係にあり、長慶は賓客として酒宴で歓待されることになりました。
( ・(,,ェ)・) 余談ですが、1562年(永禄五年)にはこの歪な友好関係は破綻に至り、伊勢貞孝は京都船岡山で三好義興・松永久秀軍に敗れて討死しています。


 3月7日、その返礼として今度は長慶が京都逗留の際に宿所としていた吉祥院に貞孝を招待し、酒宴を催したのですが…―――その夜、その吉祥院に”小童”…小さな子供が入して来たというのです。

京雀
(きょうすずめ)、と言えば京の都に住む、耳聡くて口喧しい者達の代名詞です。

 彼らはその気になれば京都近隣で起きた合戦場まで手弁当持って”観戦”しに行くなど、大胆不敵な好奇心を持ち合わせて居ますが…流石に幕府の実力者二人が宿泊しているところへ、しかも夜に忍び込んできたというのは頂けません。

 すぐに小童は捕縛され、厳しい拷問の末に『屋敷を
き討ちして、長慶と貞孝を殺すつもりだった』と、驚愕の魂胆を白状しました。


 翌8日早朝には近所で潜伏していた共犯者が捕縛され、彼の証言をもとに下京で更にもう一人の共犯者が捕縛されました。

 彼ら三人の言では『同胞は六十人近く居る』との事でしたが、更なる逮捕者は出ず…8日夕方、三人は揃って処刑されました。(言継卿記)


 次の暗殺未遂事件は、その9日後…―――3月14日の夕暮れ時に起こります。
 伊勢貞孝の宿所、というから邸宅でしょうか―――またしても長慶は酒宴に招かれ、座敷で寛いでいたのですが…――宴に参加していた幕府奉公衆・進士
(しんじかたみつ ????〜1551 九郎)が突如として抜刀し、長慶をう暴挙に出たのです。

 幕府
公衆(ばくふほうこうしゅう)とは江戸幕府で言うところの『旗本』と言うべきでしょうか、
戦国大名のように広大な領地や軍事力こそ持っていませんが、格式では将軍家の直臣なので名誉ある者達です。

 普段の勤めは将軍家を守る護衛程度のものですが、いざ合戦となれば将軍麾下の親衛隊となって戦うのですから、忠誠心に厚く勇敢な者が選ばれていたようです。

 

 進士賢光は長慶に踊り掛かって”三刀突いた”とありますから、脇差か何かで刺殺するつもりだったのでしょう。
( ・(,,ェ)・)座敷で太刀や打刀(うちがたな)を抜いても、鴨居や襖が邪魔になって斬れません。脇差を使うのであれば斬りかかるより刺すべきで、この”三刀刺す”(みがたなさす)という表現は、武将が相手を殺しにかかるときに良く出る言葉だったりします。


( ・(,,ェ)・)後年、忠臣蔵で有名になった浅野内匠頭は『小さ刀』という刃渡りの短い儀式用の刀で吉良上野介に”斬りかかった”らしく、「初手は突き、二度目はなどか切ら(吉良)ざらん」と江戸の庶民に、武士らしからぬ無知を嘲笑われました。
 

 

 


 で、長慶はどうなったかと言うと―――…はっきりとは判りませんが、どうやら傷で済んだようです。

 


 『二刀通った』(厳助大僧正記)『数ヶ所、手傷を負った』(長享年後畿内兵乱記)などと史書によって記載内容に揺れがありますが、長慶の傍に居た同朋(茶坊主)の何阿弥が決死の覚悟で賢光を抱きとめ、長慶は振り下ろされた刃を『』で受け止めたと言いますから、刀を抜く暇もないほどの急襲だったのでしょう。(足利季世記)
 

 


 


 暗殺失敗を悟った賢光は、即座に自身の首を掻き切って自害しました。


 進士賢光は領地問題で前々から長慶に恨みがあったとも、『御所様から”長慶と伊勢貞孝をせ”と命令された』とも言われており、襲撃の動機は今現在もはっきり判っていません。
( ・(,,ェ)・)なお、明智光秀はこの進士家の出身という説があるそうです。後に幕府申次衆として活躍した
進士晴舎(しんじはるいえ)は光秀の長兄、賢光が三兄に当たるのだとかで、光秀の家臣には進士貞連・伊勢貞興(貞孝の孫)など、この事件に関係した武将の縁戚が名を連ねています。


 


 ですが、”御所様”とは時の室町幕府将軍・足利義(あしかがよしてる 1536〜1565 従四位・征夷大将軍)の事です。


 応仁の乱以降、室町幕府の歴代将軍は武家の総領たる威光も覇気も失って”お飾り人形”と化していたのですが、義輝は鹿島新当流を開いた剣豪・塚原卜伝(つかはらぼくでん)から奥義『一之太刀』を伝授されるほどの”暴れん坊”。

 長慶に京都を追われて近江国(現滋賀県)の朽木谷に亡命していましたが、様々な手段を駆使して長慶一党の排除・京都奪還を目論んでいました。

 

 

実力の伴わない義輝の志は、後に悲劇的な最後を招くことになる。

 

 

 事実、3月15日…つまり二度目の暗殺未遂事件の翌日、義輝が頼みとする管領細川家の家臣・香西元成(こうざいもとなり)と三好政勝(みよしまさかつ)が軍勢を率いて京都東山を襲撃・焼討ちしており、これは長慶暗殺後の混乱を狙って京都攻略を計るものだったとされています。

( ・(,,ェ)・) 三好政勝は姓こそ”三好”ですが、長慶とは敵対関係にありました。近年の研究では後に”三好三人衆”の一角として長慶没後の京都を支配した三好政康(みよしまさやす)と同一人物である可能性が高いそうです。

 


 最初の暗殺計画(小童による放火)、出典によっては義輝の図によるものだったとされており、長慶は足利将軍家に二度も命を狙われたことになります。

 

 

 


 けれど、三好長慶という人は”梟雄”と呼ぶには少々、気のしすぎる人だったようです。

 

 この事件から僅か十ヵ月後の1552年(天文二十一年)1月28日、長慶は自分の命を二度も闇討ちしようとした足利義輝とまさかの和(わぼく。講和条約締結のこと)に至ります。義輝は亡命先の朽木谷から京都に復帰し、長慶の京都支配は終焉を迎えました。 


 足利義輝と三好長慶の主従関係は以後も、仲違いと仲直りを再三繰り返すことになるのですが…―――長慶は1564年
(永禄七年)8月10日にこの世を去るまで一貫して義輝を主君と崇め、その斥を謀ることはありませんでした。

 

 

 

 

五月雨は 露か涙か 不如帰 我が名をあげよ 雲の上まで By足利義輝辞世の句

 

 そして義輝は皮肉なことに、その一年後…1565年(永禄八年)6月17日、長慶の養嗣子である三好義継とその家臣・松永久秀の謀反に遭い、される憂き目を見ることになるのです。
 

 

 



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