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戦国武将と官位について。【前編】

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■12/28 文字ばっかりで目が痛くなりそうなので挿絵を追加。ちょっとだけ追記。

■12/21 07年大河『風林火山』第28回 両雄の死 後編があまりにも長大化していたため、戦国与太話を分割しました。



戦国与太噺。導入部、となぜ素直に命名出来ない。(画像は斬?スピリッツより)



戦国武将と官位について。【前編】 

  さて、今日は久方振りに戦国時代に関する歴史痛的コラムをお送りしようと思います。

"…前編と銘打ってるようだが、編がはたしてあるのか如何か "などという野暮な突っ込みは、控える若しくは無しにおいいたします。(自爆。  

 先ずは、2007年当時に赤髭のブログを御贔屓にして頂いていたあきみさっちさんという方より頂いたこのコメントから御覧下さい。

 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
   板垣駿河信方。    甘利備前虎泰。  
   この、姓と名の間にある「○○守」という官位?は、
   どんな位置づけのもので、誰がどうやって決めるのでしょう?

   なぜ駿河、なぜ備前?地理的に関係なさそうなのに。
   真田幸隆様は弾正忠(「○○守」じゃない?)。跡を継いだ
   昌幸は安房守。世襲というわけでもないのですね。  
   気になって仕方がありません。 

┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

 …なるほど、戦国武将の姓名というのは、調べて見ると大抵の場合こう いった官位や『〜次郎』とか『〜三郎』といった通称の様なものと併せて 呼ばれる事が多いようです。これは一体何を意味するのでしょう。



 簡単に言ってしまうと、その姓と名の間に挟まっている『駿河守』とか『弾正忠』と呼ばれるものは、その武将が朝廷から与えられた、もしくは自称した官職です。また、『源次郎』とか『平三郎』とか言うものは『仮名』(けみょう)もしくは『通称』と呼ばれる、その人のもう一つの名前です。


 なぜ、名前の他に仮名や通称が必要だったのかといえば、古来から日本には『言信仰』(ことだましんこう)という宗教的な考え方があり、人の実名…武田晴信は"晴信"、山本勘助は"晴幸"といった、今日で言うところの名前の下の方はみ名』もしくは(いみな)と呼ばれ、他人に呼ばれるのは避けられる習慣があったからです。

 早く言えば『人の名前には魂や霊的な力が篭められていると信じられ、軽々しく呼んではいけない』と考えられていた訳で、この考え方のことを(ひき、ひい)といいます。
( ・(,,ェ)・) 言霊信仰はもともと中国から伝来された思想で、朝廷や貴族階級にはかなり早い時点で浸透していました。ことし酷い目にあった平清盛も、平相国(相国とは太政大臣の唐名)と呼ばれていましたよね。



 戦国時代にもこの習慣は続いていました。よく、歴史ドラマなどで豊臣秀吉が主君の織田信長の事を『様!!』と呼んだり、同僚の明智光秀の事を『殿!!』と呼ぶシーンがありますが、あれは本来であれば非常に失礼な事です。
( ・(,,ェ)・) これが「意図的に無視されている時代考証」です。日本の時代劇には現代風に味付けする際に結構、当時の常識を削っているケースがあります。『和装時代の日本人男性は、歩くときに右手と右足、左手と左足が同時に出てた』『中村主水とかの町奉行所の同心は一人で外を出歩かない』とかですね。


 その人の『名前』を呼称する権限があったのは、当時では普通『自分の主君・上司』か『父親など、自分より目上の親族』だけにられていました。
 大河『風林火山』でも、武田晴信を『晴信』と諱で呼んでいたのは父親であった武田信虎と母親である大井夫人だけで、他の家臣達は一貫して『御館様』と呼んでいます。
( ・(,,ェ)・) この考え方は、時代が下って江戸時代半ばになるともっと顕著になり、たとえ殿様でも家臣の忌み名をうかつに呼ばなくなっていったようです。明治天皇に仕えた土方さんという人の回想によれば、明治天皇は決して臣下を忌み名では呼ばなかったそうです。ドラマなどでも伊藤博文のことを『伊藤』と呼んだりしてますもんね。

     

 大河『風林火山』ではそういった歴史考証を踏まえて、武将達はたいていの場合『お互いの姓+殿』で呼んでいましたが…武田家では板垣家や甘利家は由緒正しい親類衆。
 きっとかなりの人数が家臣として輩出されていたはずですから、躑躅ヶ崎館で『板垣殿ー!!』と呼ぶと、一斉に何人もの武将達が振り向いて『え、何?( ;・`ω・´)゛となる可能性があります。

 こういった場合も踏まえて…当時の上流階級では他人の名を呼ばなければならない場合、『名字あるいは仮名や通称、または官職名で呼ぶ』のが礼儀とされていました。

 
信長のことを織田弾正忠、武田信玄のことを武田大膳大夫。毛利元就なら毛利陸奥守、直江兼続なら直江山城守といった感じですね。敵将を呼ぶ場合などでも、よほど怨恨関係が深くなければこれを踏まえるのがマナーだったようです。
( ・(,,ェ)・) さらに文章などで書く場合、省略して『名字一文字+通称一文字』とか銘記されることもあったようです。たとえば、木下藤吉郎秀吉なら"木藤"、明智十兵衛光秀なら"明十"。三好筑前守長慶なら"三筑"。みんな大好き松永弾正少弼久秀なら"松弾"です。


 そんな理由で、戦国武将達は諱の他に必ず通称か仮名を持っていたのですが…やっぱり人間偉くなると書きが欲しくなるもの。戦国武将達にとって憧れる肩書きといえばやはり『朝廷の官職』でした。

 古い物語を紐解けば、戦国武将が憧れる肩書きというのはやはり名高い過去の武人達が貰った官職です。

 奥州で起きた叛乱事件『前九年の役』『後三年の役』などで大活躍した源頼義・源義家親子や、平将門の乱で活躍し、乱を平定させた藤原秀郷
 今年の(残念な結果に終わった)大河の主役、瀬戸内海の海賊退治や保元の乱などで叛逆者達をバッサバッサと撫で斬りにして名を挙げた平忠盛・平清盛親子などなど。

 戦国武将達は、数多の合戦で手柄を挙げて朝廷の官職に就き、出世栄達していった彼らの様な活躍に憧れて、自分達もそうありたいと強く想いました。一地方に住む『何何処の〜太郎さん』や、『無位官の〜次郎さん』、そんな田舎侍な土豪のままでは終わりたくなかったのです。



 だからこそ、多くの戦国武将達は近隣の敵対勢力と戦って知名度を上げ、勝利することで得た富を朝廷に献金することで、昔の英雄達のように朝廷の官職に就く事を熱望しました。

 過去の武人達は兵衛府衛門府といった軍事力で天皇に仕える官職を授かる場合が多かったので、一番指名率が高かったようです。


■初鹿野伝右衛門。彼の諱は"忠次"で、名前の様に見えるのは 伝 右衛門尉、つまり衛門府の上級官吏ということになる。

 そう、戦国武将の通称に多い『〜兵衛』や『〜衛門』、あれは名前じゃなくって官職名だったんです。
( ・(,,ェ)・) 江戸時代に入ると、あまりにも日本全国に『〜兵衛』や『〜衛門』がいっぱい居たので、江戸幕府も全員から取り上げるわけにもいかず、とうとう『百官名』(ひゃっかんな)という、官職っぽい名前を名乗ることを許可しなければなりませんでした。時代劇で一介の悪徳商人とかが堂々と『〜兵衛』を名乗っているのはそのせいです。


 また、戦国武将達を管理する大名にとってもそういった願望は利用価値のあるものでした。合戦で勝っても狭い日本、褒賞として家来に与えられる土地は限られています。朝廷の官職という名誉は、時に戦国武将にとっては忠誠心を奉げるに値するものです。役立つ家来には官職を叙任させて結びつきを強めようと考えた大名も少なくなかったでしょう。


 ところが、戦国時代の朝廷というものは日本の歴史上類を見ないほどに弱体化しており、統治機構としての管理は既に破綻していました。朝廷の高い官職についている公家さんは愚か、天皇までもが直筆のサインを書いては売ってお金にしないと食べる物にも困ったほどの貧窮振り。
( ・(,,ェ)・) この時代の公家の困窮振りを示すエピソードとして、『冬に面会を求めたら"夏に着る服しかない"と断られ、それでも会いたいと言ったら"蚊帳"を体に巻きつけて出てきた』なんて話があります。着るものにすら困ってたんですね。


 こんなありさまですから、朝廷にとって戦国武将達の望む官職の大部分は、実質的権限も乏しい名誉職のようなモノ。ただ、天皇の御威光めでたい、朝廷の官職であるという名だけが輝く代物だったのです。 ぶっちゃけ、戦国武将がお金持ってきて"欲しい!!"と言えば売り払って問題もないものでしたので朝廷も朝廷、生きていくためには手段は選べません。


 戦国武将達から献金を受けて『〜っていう官位が欲しい!!』とおねだりされたら、見栄とか体分とか有職故実とかを考慮している余裕などありません。
 『欲しいの。頂ッv 
σ(゜ヮ。 *)』といわれたら、その官職の『定員』とか『希少価値』とかを考えずに、献金の金額次第でバンバン推挙していたのです。


 この、お金で官職を買うという暴挙を(りょうかん)と言います。
 戦国武将の中には武田信玄の大膳大夫や毛利元就の陸奥守、大内義隆の兵部卿などなど、正式に朝廷から勅旨が来て官職に任命された武将も数多くありますが、それらはほぼ猟官によって官職を獲得しているといって差し支えないでしょう。
( ・(,,ェ)・) 大内義隆の兵部卿は、後の信長・秀吉・家康など朝廷に強い影響力のあった天下人たちとは違い、純粋に献金だけで勝ち取った官位としては当時最高級のものでした。義隆は北九州の国際貿易港・博多などを領地に押さえ日明貿易で莫大な財産を得、それを使って実に八回も猟官に成功しています。

     


 挙句の果てには『昔先祖が貰ったから、代々世して引き継いでる。』とか『昔○○という大将に褒められて、った官職だ。』と半分嘘をついてまで、朝廷に無断で官職を自称するものまで現れました。朝廷の官職に世襲制はありませんし、仮に自称しても朝廷の機構がガタガタなので処罰もできません。



 おかげで、気づいてみたら戦国時代には物凄い数の『京都の治安持長官。』とか『備前の国の官。』とか『天皇様の近衛兵団の長。』とかいう官職を持つ人達がひしめく有様になってしまいました。
 朝廷の力が強く、安定していた頃には一人しか居なかったはずの『備前の国の長官』も、自薦他薦を含めてかなりの大人数居たと思われます。


 話しを元に戻せば、板垣信方や甘利虎泰が一見すると甲斐国、武田家とは何の関係も縁もゆかりも無い様な土地…駿河守や備前守の地位官職を持っているのも、元はそういった『合戦で手柄を立てた恩として主君から推挙して貰った官職』か『ご先祖様が貰った官職を世している』あるいは『勝手に自称している』官職だからです。なぜそんなことをするのか、それは名誉が欲しいし誇りたいから、です。


 では、他の武田家の武将達がどんな官職を名乗っていたか軽く説明して、今夜の締めとさせて頂きます。

■板垣駿河守信方(サニー千葉)甘利備前守虎泰(竜雷太)原美濃守虎胤(宍戸開)
 駿河守は駿河国(現静岡県東部)の、備前守は備前国(現岡山県南東部)の、美濃守は美濃国(現岐阜県南部)の、『朝廷公認の国支配責任者・長官』です。

 朝廷の官職というより地方長官で別名を国司、官職名とは呼ばず『受領名』(ずりょうめい)と呼ばれています。
 ちなみに、越後長尾家にも駿河守と備前守が同時期に居ました。『天下への道』で初登場する予定の宇佐美定満(緒形拳)が駿河守、大熊朝秀(大橋吾郎)が備前守です。
 …もう、お隣に二人目の長官が居るわけですね。

 なお、当時の日本は66カ国(隠岐島・対馬島を『国』とカウントすると68カ国になります)あったので、国司は都合66人ないし68人居た勘定になりますが、皆同じ地位では無く、経済力や立地条件で国によって地位が違いました。
 地位が高い順に国・国・国・下国とあり、備前・駿河は上国にあたり、真田昌幸が叙任された安房守…安房国(現千葉県・房総半島南端附近)は中国にあたります。

 また、朝廷には『等官(しとうかん)と呼ばれる官吏区分があり、それぞれ長官を『かみ』、次官を『すけ』、一般官吏を『じょう』、下級官吏を『さかん』と呼びました。
 充てられる漢字は官職によりことなりますが、カミと読めば長官、スケと読めば次官であると考えて差し支えありません。

■馬場民部少輔信春(高橋和也)

 民部省は令制八省と呼ばれる朝廷でも重要な官職で、京の都をはじめ地方に住む国民の戸籍に基づいて徴税を行い、また大きな街道などの道路建設や管理も担当していました。

 下部組織として主計寮(しゅけいりょう・かずえのつかさ)という税収の計算や納入や予算の編成および会計監査を担当する部署、主税寮(しゅぜいりょう・ちからのつかさ)という、田畑から獲れる米や雑穀などの納入や倉庫管理、地方財政を正税帳・粗帳などの書類通帳にして管理把握する、という大変忙しい部署を持ち、かなり早い時期から形骸化していった朝廷の諸組織のなかでも特に重要な部署でした。

      

 馬場信春は民部少輔、『輔』はスケですが少とつくため、民部省の次官補を任官されていたことになります。上記の官職説明からも判るとおりかなりの計算事務能力を要求される仕事であり、その格好よさから戦国武将も憧れたのか、兵衛や衛門・弾正ほどではありませんが割りと多くの武将が名乗っています。


■真田弾正忠幸隆(佐々木蔵之介)
 大河『風林火山』放映当時は小山田信有(田辺誠一)と並んで女性視聴者から絶大な人気を得た佐々木蔵乃介さんが好演した真田弾正ですが、先の民部少輔とは違って戦国武将に大人気の官職でした。



 この官職の詳しい説明などについては、下記リンク『赤髭亭』より『赤髭の戦国歴史浪漫譚』をクリックし、『戦国武将官職講座【第三回 弾正忠】』を御覧下さい。
( -(,,ェ)-) ひどい自己自演コマーシャルを見た。けど、そっちで詳しく書いてありますので折角ですから御覧くださいませ。(平伏






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