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"歴史痛"の看板に偽りなし?戦国トリビアシリーズ【第三十夜】

JUGEMテーマ:コラム

 


 戦国与太噺。導入部、となぜ素直に命名出来ない。(画像は斬?スピリッツより)


■五月三十日のトリビア

 戦国武将にも羨望の的だった銘刀の代名詞『正宗』。
 現代でもその贋作が大量に確認されているが、
      
そうなった原は石田三成と徳川家康にある 。  



■日本刀槍史上で燦然と輝く銘刀・正宗の歴史とその真贋。

 さて、突然ですが…このブログを御覧になっている戦国歴史Fanであろう紳士淑女の皆様方は、『まさむね』と問われたらどんな連想をするでしょうか?

 恐らく、誰もが『遅れてきた戦国武将』こと伊達政宗を思い浮かべられることでしょう。
 、今回の御代はそっちじゃない『正宗』…奥州の独眼龍に匹敵する知名度を誇るものとして、日本刀の方の『
』のお話です。


 銘刀の代名詞として、戦国武将やその歴史にあまり興味の無いと仰る読者の方々でも一度はその名を耳にしたことがあるでしょうが、特に今二十代後半から三十代までの年齢層の方は、家庭用ゲームソフト『FinalFantasy』シリーズやその他RPG、幻想世界を背景とした数々の物語に登場する最高級の武器として、妖刀『
正』と並び賞される古今無双の魔剣、刀剣武器の筆頭級として認識されている方もかなりいらっしゃるのではないでしょうか。


 


 幻想世界でも最強の刀剣として誉れ高い『正宗』ですが、念のために言っておけば…

 正宗は、鍛冶師『岡崎五郎入道正宗』と彼が打ち上げた刀の銘として刀剣史上にその名を残している実在のものです。
 現存する幾つかの正宗には重要文化財は勿論、幾つかは問答無用の国宝…日本が誇る至宝となっているものもあり、江戸時代には徳川将軍家や御三家が所蔵したという、言わずと知れたKing of 日本刀です。


 徳川家に祟るとされた妖刀『村正』や、切れ味鋭い事で名を挙げた『備前長船』ともども、数多くの戦国武将にも寵愛されその佩刀となった正宗ですが…――

 
『ゲームとかでも問答無用で最強武器だし、実際の戦国時代でもさぞかし大躍したんだろうなぁ』と思えば、実のところ…赤髭はこれまで、"実践の合戦で正宗を振り回した戦国武将"の記録やそのエピソードをまだ一件もんだことがありません。



 真田幸村をはじめ数多くの戦国武将に愛された村正、『戦国の覇者』織田信長や『越後の龍』上杉謙信に愛された備前長船はそれぞれ、戦場でも信頼にたる武器として数多くの逸話を残しているのに、なぜ正宗だけはまったくそういう記録に乏しいのでしょう。


 それは、『正宗』が既に戦国時代で既に二百五十年以上の歴史を誇る超がつく骨董品であり、幾ら名だたる戦国武将であっても、軽々しく振り回せる様な安っぽい代物ではなかったから…そんなことをした戦国武将が居なかったから武勇譚が残らなかったんじゃないでしょうか

 それだけ、正宗の価値は素晴らしく…そのロイヤリティに惹かれた武将達は武器ではなく『秘蔵品、家』として追い求めたのです。




 銘刀正宗を生み出した岡崎正宗は鎌倉時代末期の刀鍛冶・新藤五國光
(しんとうごくにみつ)の弟子にして、正宗と双璧を為す名工・村正の師匠だとされている人物で、初めて信頼の置ける史書に登場するのは1316年(正和五年)のこと。


 言うまでもありませんが、1316年と言えば戦国時代より百五十年以上も前。室町幕府どころかまだ鎌倉幕府が存在している、歴とした鎌倉時代です。つまり、正宗は戦国武将ですら憧れの存在であった坂東武士達が活躍した時代の骨董品であることを意味します。
 ( ・(,,ェ)・) ちょうど『元寇』と呼ばれる二度のモンゴル来襲を切り抜けた直後、多額の負債を抱えた鎌倉幕府が緩やかな衰退期にさしかかり始めた頃ですね。


 正宗は『相州伝
(そうしゅうでん)と呼ばれる刀剣鍛冶流派に属し、打ち上げた数多の太刀は見るものを惚れ惚れと、また背筋をざわつかせるような鬼気迫る美しさを誇り、その腕前を鎌倉幕府から認められて御上お抱えの鍛冶師として活躍。数々の刀剣を幕府に納めていたとされています。


 しかし、長い動乱の歴史を生き抜き平成現代に無事伝承された正宗は、いずれも刃渡りは70cm止まり…その多くは刃渡り25cmほどの短刀が占めています。『Finalfantsy7』で登場した、主人公の敬慕する武人にして最終Boss・セフィロスが持っていたような長大な刃渡りを持つ"太刀"は一点も残されて居ないのが特徴です。

 これは、鎌倉時代に打たれた刀…"太刀"(たち)には、戦国時代期に活躍した打刀(うちがたな)や刺刀(さすが)とは違い、僅かに刀身に反りがあったこと…そして後世、戦国時代になって所蔵した武将や刀剣愛好家が『太刀拵えじゃ長過ぎるから。』という理由で刃を短くしてしまったのが原因のようです。
( ・(,,ェ)・)なんちゅう勿体無いことを!!

 ( ・(,,ェ)・) なお、戦国時代に活躍した打刀や刺刀には刃に反りがなく、ほぼ真っ直ぐなものでした。刀身に反りがあると戦場でいざというときにすぐ鞘から抜けないためです。
 また、鎌倉時代のものと違い凄まじく頑丈に出来ていました。身分の低い足軽がもつ刀などは、戦場であらっぽく使いすぎて折れ曲がってしまい、またそうなっても足で踏んづけて強引に折り曲げて戻してから振るった、という話が残っているくらいです。



 さて、そんな孤高の銘刀・正宗ですが…これを好んで蒐集した武将に、あの石田
がいます。

 三成といえば豊臣政権の基盤を支えた吏僚派閥の筆頭、長袖の文官というイメージをお持ちの方も多いとは思いますが…実は賤ヶ岳の合戦で大谷吉継と一緒に七本槍の連中とは違う部署の戦線を担当、自らも敵の首を討ち取っているという武勇譚もきちんと持ち合わせている戦国武将。

 『主君から貰った俸禄を余らせるのは不忠義であり、使い過ぎて借金をするのは愚か者である』という言葉を残した彼らしく、主君・豊臣秀吉から授かった給料は島左近ら勇猛な武将を数多く雇うために費やしたほか、名だたる刀剣武具の蒐集にも余念がなかったようで…秀吉があまり正宗に興味を示さなかったこともあり、そのコレクションはかなりの数になったようです。



 京都や堺は勿論、日本各地の港町や金銀山を直轄領とし、国中の富を集めて栄華を誇った豊臣家。その権威は磐石で、永遠に続くかと思われましたが…――
 1598年
(慶長三年)、豊臣秀吉が世を去ると時代は一挙に風雲急を告げることになります。


 



 そう、あの…―秀吉没後の天下を狙う徳川家康が、誰はばかることなく魔の手を伸ばし始めたからです。

 家康は豊臣政権下では禁じられていた他大名家との婚姻外交を推し進め、自身の藩閥を拡大。
 この動きに遺憾の念を表し、反徳川家の旗頭となっていた前田利家が翌1599年
(慶長四年)に世を去ると、石田三成は亡き太閤秀吉の衣鉢を継ぎ、徳川家康に対する活動を開始します。


 家康に対抗するには、徳川家に靡きつつある豊臣恩顧の大名を再び寝返らせ、自陣営に留め置かなくてはいけない。槍一筋、武勲だけを頼みに生きてきた加藤清正や福島正則と違い頭脳明晰な官僚だった三成がそのために取った手は、『理』と『利』で他の戦国武将達を釣ることでした。



 とは言っても、五大老筆頭であり所領250万石という大勢力だった徳川家康とは違い、三成は五奉行の一角にして近江佐和山19万石に過ぎないという身分…地盤も看板も鞄も違いすぎて、話しになりません。
 ( ・(,,ェ)・) よく石田三成が五奉行の筆頭だった、と記録する書籍を見かけますが、実際の五奉行筆頭は浅野長政でした。しかし、長政は晩年の秀吉に面と向かって諫言したりする骨のある人だったので、次第に秀吉に疎まれ…かわりにYesmanだった三成が台頭していったわけです。


 

 そこで考え付いた妙案は『お金に替えられない秘の品をつけとどける』というものでした。



 石田三成は当時、
(くにひろ 1531〜1614  藤原信濃守国広)という有望な刀鍛冶師の支援者となり、京都の堀川に鍛冶屋敷を設けて数多くの銘刀を打たせていたのですが…こともあろうに。

 三成は彼に命じて、正宗の贋作を大量に生産。これを家康に傾く豊臣家武将達に『物の正宗』として豪快にばらまいたのです。


 何せ自分の手元には正真正銘の『正宗』がたくさんありますから贋作造りにそつはありません。それにたずさわった國広も後に『新刀造りの第一人者・堀川国広』と呼ばれるほどの腕利きに成長していますし、おそらくはよほどの刀剣鑑定達者でなければ偽物だとは気づかなかったことでしょう。
 ( ・(,,ェ)・) "新刀"しんとう、とは慶長年間以降、つまり秀吉が死んだ後以降に作られた刀のことです。ちなみに、池波正太郎の歴史小説『鬼平犯科帳』で主役を張る"鬼平"こと長谷川平蔵が腰に差していた刀がこの堀川国広作のもので、平蔵が活躍した江戸中期には刀剣鑑定家も垂涎の品となっていたことが描写されています。




 そして、この動きに気づいた家康も負けじと相模国
(現神奈川県・東京都西部)から正宗の流れを受け継ぐ刀鍛冶を動員して『正宗』の贋作を大量に生産。

 自陣営の支持固めや豊臣家の武将達を引き寄せるための贈物に使用しました。こちらは本家本元である岡崎正宗の薫陶を汲む相州伝の刀打ちによるものですから、これまた瓜二つの出来栄えとなったに違いありません。




 そんな徳川家康と石田三成による『正宗』の贋作合戦は1600年
(慶長五年)、関ヶ原の合戦で東軍が勝利を収めたことによって終結しました。

 



 三成は豊臣家の為に戦った忠義の士から一転、天下を騒がせた反逆者となってしまい…彼から贈られた正宗を持っている武将は後難を恐れ慌てて処分したことでしょうが、問題は家康がばらまいたほうの正宗です。


 後に江戸幕府を開いて征夷大将軍・太政大臣となり、武家としても公家としても頂点を極め、その没後には東照大権現となって崇め奉られた家康です。

 まさか、贋作の正宗なんかばらまくはずがない!!と誰しもが思ったのは間違いありません。

 そして、『権現様より下賜された由緒正しい正宗』を何物にも変えがたい至宝として子々孫々まで受け継いだ大名家のそれを、贋作と疑うこと…また、仮に贋作と見抜いたとしても"こりゃ偽物ですよ"と指摘できる刀剣鑑定家もまた、いるわきゃありません。




 この結果、正宗は『
折り紙付きの贋作が日本一多い銘刀』という、非常に有難くない称号を徳川家康から授かるはめになってしまいました。家康も江戸幕府を開き天下泰平の世をつくるためとはいえ、罪作りなことをしてくれたものですが…たぶん、本人はそんなににしてなかったんじゃないかと思います。




 何せ徳川家康は『正宗』ではなく、『とある意外な流派の刀』の愛好家だったんですから―――…




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■赤

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