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"歴史痛"の看板に偽りなし?戦国トリビアシリーズ【第二十九夜】

JUGEMテーマ:コラム
 


 

戦国与太噺。導入部、となぜ素直に命名出来ない。(画像は斬?スピリッツより)


■五月二十九日のトリビア

 『戦国の覇者』織田信長がその名を乱世に鳴り響かせた
 一世一代の死闘・桶狭間の合戦。その舞台とされる
 
       "桶狭間"は、現在愛知県内にヶ所ある。  



■『海道一の弓取り』今川義元の生涯最後にして最大の誤算、今川軍のその後

 さて、1560年(永禄三年)、総勢四万という大軍を率いて尾張国を強襲した今川義元。

 桶狭間に軍を進めた理由は、旧来の説では『上洛を決意したため』と言われていましたが、様々な方向から検証しなおしてみると、その真相はどうやら『甲斐武田家・相模北条家との三国同盟も出来て後顧の憂いは、完璧とはいえないまでもだいぶん緩くなった。これを契機に、長年の仇だった尾張織田家を徹底的に叩きのめす!!』という思惑によるものという説が近年では有力とされています。

( ・(,,ェ)・)。oO ( 戦国大名が上洛を決意した場合、領国から京都の間に通過する諸勢力を武力で捻じ伏せるか、事前に通達をして通行の許可を求める外交交渉をするのが普通です。

 今川義元にとって織田信長は長年争った不倶戴天の敵だったため滅ぼすのは判るとして、尾張より西の諸大名…近江六角家や伊勢北畠家などは同じ室町幕府の守護大名ですので、平和裏に通してもらうべく使者を派遣するはずです。
 桶狭間の合戦前後、今川家にはそうした外交手段をとった痕跡がないため、『火種の絶えなかった織田-今川家の国境線を武力で確定させ、抗う信長を叩き潰す』ことが目的だったんじゃないかな?という考え方ですね。 )



 その意気軒昂な目論見が、桶狭間の合戦の結果どうなったかは戦国歴史FANの皆様も周知の通り…今川義元がまさかの大敗。

 馬にも乗らず、塗り輿に乗って戦場に来ていた義元は本陣を真っ向切って強襲してきた織田信長の"奇襲じみた正面突撃"によって討ち取られ、落とすはずのない鉄板勝負で命を落とすハメになりました。


 織田信長に十倍近いビハインドをつけていたはずの今川軍四万は指揮官である総大将を失って士気を喪失、泡を食った今川家武将達は総崩れになりながら東に向けて撤退を始めます。大将首を獲られた混乱を鎮撫できる、義元亡きあとに指揮を引き継いで合戦を続けられる武将が居なかったからです。


 そんな『戦国の覇者』織田信長の天下布武創業の地であり、『海道一の弓取り』今川義元最後の地・桶狭間は今も愛知県にあり、その死闘の熱戦譜を語り継いでいるわけですが…。



 『それじゃあ歴史を巡って、桶狭間の地へLet's Goだ!!と思って地図を確認してみると、あるおかしな事実に直面します。




 …―愛知県には、桶狭間がヶ所あるからです。



 まずは、愛知県名古屋市緑区・有松の桶狭間。この住所には『桶狭間合戦戦死者供養塔』があり、ここが合戦最大の激戦区であったことが記録に残されています。


 次に、愛知県豊明市・南館の桶狭間。こちらには『今川義元討死の地』として、彼の墓碑が残されています。


 こちらも、総崩れになる今川軍を勝ちの上げ潮に乗った信長軍が追撃、多数の死者を出したという伝承が伝わっている地。どちらも信憑性のある謂れのある土地ですが、いったいどちらが間違っているのでしょう?



 ぶっちゃけてしまうと、『どちらも』です。


 トリビアにトリビアを重ねることになりますが、まず勘違いされていることに『桶狭間は"間"じゃなくて"の上"』ということ。


 信長の一代記であり、非常に信頼性の高い史料として歴史家に認知されている『信長公記』では、織田軍は『桶狭間山を駆け上っていった』と記録されており、その覇気剣幕に呑まれた今川義元や今川軍は浮き足立ち統率が崩壊、撤退を始めたとあります。


 この時、今川義元は退却の命令を出さなかった為、今川軍は急に総大将を見失った形になり、慌てて『二方向に』、桶狭間山を駆け下りて逃げ出しはじめたのです。


 総大将の今川義元が逃げようとしたのは、その才能を高く評価し幼少期から武将としての薫陶を授けていた松平元康(徳川家康)の守備している(おおたかじょう)


 こちらは勇猛果敢で名高い精鋭・三河武士団を率いた元康が後詰として待機しており、兵糧も事前に元康が運び込んでいたため休憩と戦線の仕切りなおしには持ってこいです。

 しかし、慌てふためきながら逃げ出した今川義元とその旗本の逃げ足は遅く、今の名古屋市緑区・有松で織田信長の追撃軍と激突。義元はここで首級を奪われてしまい…戦国きっての辣腕政治家であり無類の戦上手と讃えられていた栄光の生涯に、醜聞つきの幕を閉じることとなりました。
.

 さぁ、これで『総大将討死!!』の急報に浮き足立った今川軍は士気崩壊、慌てて陣払いを始めます。義元が逃げていった大高城はやや信長軍に近かったため、また情報が錯綜していたこともあるでしょうが…一部の今川軍は、尾張国-三河国の国境に近い掛城(くつかけじょう)目指して逃げ出し始めます。
 
 この逃走も混乱を極めた今川軍の逃げ足は亀そのもので…一方的に織田軍の追撃によって討ち散らかされ、今の愛知県豊明市南館では特に熾烈を極める惨敗を喫し、多数の死者を出しました。

 この二ヶ所の桶狭間は距離にして1劼睥イ譴討らず、混乱を極めた今川軍の阿鼻叫喚、そして織田軍の血気盛んな咆哮はどちらも同じ按配だったことは想像に難くありません。どちらも間違いなく『桶狭間』だと言っても問題はないんじゃないでしょうか。



 今川家の『黒衣の宰相』、桶狭間合戦の五年前に世を去った名軍師・(せっさい、俗に言う”太原雪斎")が健在であれば『退却していく際に軍勢を二手に分けるような失』はまずなかっただろうことは想像に難くありませんが…やはり、戦国乱世は運否天賦。

 武運に見離されれば、四万だろうが五万だろうが負けるときは負けるんですねえ。

 これ以降、今川家の独壇場だった東海地方は桶狭間に凱歌を得た織田信長とこれを機に独立した松平元康によって切り開かれていくこととなり…この二人を『戦国の覇者』と、『戦乱に終止符を打った東照大権現』として大きく飛躍させることになるのです。






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