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"歴史痛"の看板に偽りなし?戦国トリビアシリーズ【第二十八夜】

JUGEMテーマ:コラム
 

 

戦国与太噺。導入部、となぜ素直に命名出来ない。(画像は斬?スピリッツより)


■五月二十八日のトリビア

 『戦国の者』織田信長の食事は非常に味付けが濃く、
 また塩味もきついものだったことで知られるが、信長が
 
       好んで食べたのは『シラス干しが入った湯漬け』だった。  



■食事を摂るのに無駄な時間とエネルギーは使わない。合理主義者信長の食事哲学?

 1560年(永禄三年)、五月十八日。

 後の『戦国の覇者』・織田信長はかつてない窮地に立たされていました。


 
これまで、父・信秀の代から小競り合いを続けてきた長年の仇敵・駿河今川家の総領・今川義元が総勢四万という大軍を動員し駿河今川館より出兵、遠江国(現静岡県西部)・三河国(現愛知県東部)を経由して信長の本拠地・尾張を強襲したからです。

 後世に『桶狭間の合戦』として伝承されたこの戦い、当初は織田家に勝ち目は無いと思われていました。
 今川軍四万に対し織田軍が揃えることが出来た軍勢は僅かに三千。その戦力差は絶望的で、敵を迎撃しようにもこんな寡兵では鎧袖一触間違いなし。


 おまけに、この兵力差十倍というのは当時の感覚では『力攻めで城を攻め落としても問題は無い』とされる圧倒的優勢。おそらく、野戦を嫌って篭城戦に持ち込んだとて、踏み潰されるのは目に見えています。
 まだ信長の居城・清洲城まで今川軍が襲って来るには距離も間もありますが、それが詰められるのもまた時間の問題でした。



 『野戦にて乾坤一擲、イチかバチかで今川義元軍に喰らいつくより他に道はない!!』

 「いや、こんな兵力では揉み潰されるのは目に見えている。ここは清洲城に篭城して、堅い守りで今川軍を退けるほかない」

 『後詰め(ごづめ。篭城している味方を救うべく派遣される援軍のこと)もなしに篭城して何になるというのだ!!』

 「三千で四万に野戦で勝負をしかけることこそ狂気の沙汰じゃ!!」


 信長の御前会議でも織田家重臣達が喧々囂々と論議しましたが、結論は出ません。信長も信長で真面目にその意見を聞いている様子はなく、しばらくするとあくびをかいて軍評定をお開きにしてしまいました。


『これ以上の議論は無用。夜もふけてきたし、お前らも帰って寝ろ。』

 家臣達もその叡智を頼りにしていた信長がこの言葉、柴田勝家・佐久間信盛ら重臣達も意気消沈し「運も末になると、智恵の鏡も曇るのか…」と、明日の破滅を覚悟しました。



 しかし。日付が変わって五月十九日になり、間も無くの午前二時。

信長は急に寝間から飛び起きて、小姓達に檄を飛ばします。

『具足と湯漬けを持て!! 法螺貝を鳴らせぃッ!!! これより我が織田軍は出撃するッ!!!!』

 俄かに城内が騒がしくなります。信長は小姓達に鎧具足、兜を装着して貰いながら、準備された湯漬けを立ったままあっというまに掻き込んで食事を終了。

 そして普段から愛唱している幸若舞の『敦盛』を唄いながら三遍舞い、それが終わったや否や、孫子の兵法よろしく『動くこと雷霆の如し』の電撃戦で、たった一人馬に乗って飛び出していきました。向かった先は熱田神宮。



 まぁ、この後に何がどうなったかは皆さんも重々ご存知でしょうからここでは省きますが…――織田信長が何かを食べている、といえばやはりこの『桶狭間の合戦の直前』に尽きるのではないでしょうか。

 失敗すれば御家の滅亡間違いなしという絶対的危機の状況でも泰然と落ち着き払った態度で家臣達の動揺を抑え、そして今川軍に悟られないうちに出撃するには一刻の時間も惜しい。膳を整えて暢気に飯を食っているばあいではなかったでしょうから、信長は立ったまま湯漬けを流し込んだのですが…。



 どうやら織田信長は、若き辣腕のビジネスマン同様に『あまり食事に時間をかけない』性質だったらしく、『ご飯にお湯をかけて掻き込みやすいようにしただけ』である湯漬けを好んで食べていたようなのです。



 しかし、織田信長といえば酷薄なまでに気の短い性格と同様、料理の味付けも中途半端なものを嫌いました。

 1568年(永禄十一年)、足利義昭を奉じて上洛を達成した際にも、それまで京都の支配者だった三好三人衆を駆逐した際に、三好家の料理長で名の知れた鶴料理の達人であった坪内某という人を捕らえたときに料理を作らせたことがありましたが、その味付けが京都料理特有の薄味仕立てだったことに腹を立て、『こんな水臭いもんが喰えるか!!首を切ってやる!!』と怒鳴り散らしたことがありました。

 坪内さんは『あと一回、あと一回チャンスが欲しい!!!』と土下座の平謝りで信長に謝罪し、今一度の機会を嘆願。
 そして与えられた次の料理では、田舎料理が如く塩と味噌を使いまくり、ようやく信長の怒りを静めることが出来たという話があるくらいです。

( ・(,,ェ)・)。oO ( なお、現在では一日に摂る塩分の理想的な量は5グラムくらいまで、なんて言われていますが…戦国時代の武将達が食べていた献立を再現してみると、どう考えても一日の塩分が50グラムを振り切っていたそうです。おそらく信長もこういった味を常識と考えていたので、上品で薄味な献立てが多い京都料理には馴染めなかったのでしょう)


 ですので、湯漬けを食べるにしてもその味付けは相当に塩味がきつかったはずです。

 信長は桶狭間合戦以降も戦場では湯漬けをよく食べていたそうですが、そのお膳を見たことがある人が言うには、信長はお湯に浸された飯の上に塩味をきつめにつけたシラス干しを浸し、それを一気に胃のなかに納めるような早飯喰いだったのだそうです。



 織田信長が戦国時代の表舞台から去っていったのは1582年(天正十年)、明智光秀による謀叛『本能寺の変』だったのは読者の皆様も御存知かとは思いますが、このとき信長は既に四十九歳。


 こんなに強い味付けの料理を日々、ゆっくり時間をかけずにかっ喰らっていたのなら…万が一に本能寺の変に遭わなかったとしても、ある日突然高血圧性の脳出血か心臓疾患に見舞われ、そのままぽくっと逝ってしまっていた可能性も充分あったことでしょう。

 事実、やはり塩味きつめの料理が好きでその上大酒呑みだった上杉謙信は冬の能登国(現石川県北部)で四十九歳のとき突然に倒れて意識を失い、その三日後に亡くなったそうですので…――。



 戦国時代に革命をもたらした覇者、乱世の風雲児だった織田信長が健康管理不足でぶったおれて死んでいたら、おそらくは今ほど高い人気は得てなかったのではないでしょうか……。
 





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■赤

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