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"歴史痛"の看板に偽りなし?戦国トリビアシリーズ【第八夜】

JUGEMテーマ:コラム

戦国与太噺。導入部、となぜ素直に命名出来ない。(画像は斬?スピリッツより)


■五月八日のトリビア

   武田信玄・上杉謙信、豊臣秀吉に徳川家康と
  『埋蔵金伝説』がある戦国武将は数多いが、
       実はそのいずれも、既に発されている。


 

■埋蔵金を埋めるのは何のため?それを踏まえてえよう


 少し前まで、某TV番組で『徳川埋金を探せ!!』というプロジェクトが定期的に特番として放映されていたこと、戦国歴史Fanの皆様は御記憶にあるでしょうか?

 様々な史書を紐解き、歴史学者の諸説推測などからそれは『群馬県の赤城山中に埋められている!!』と結論付けられ、重機を駆使して散々ばら山を掘り返し続けた挙句…―――はい、結局は何も発見されず仕舞いでいつのまにか終わってしましたよね。


 もう随分昔の話なので、ここ最近『戦国無双』や『戦国BASARA』などで戦国歴史Fanになった読者の皆様は御存知ないかもしれませんが、ことのあらましを説明すると…

 幕末の頃…――明治維新、打倒江戸幕府の兵を挙げた薩摩藩・長州藩などの軍勢に連戦連敗を喫していた幕府はいよいよ徳川将軍家の本拠地・江戸城までをも攻撃される危機に直面しました。

 明治新政府軍の総大将を務めた西郷隆盛は、江戸幕府が『大政奉還…』――"日本を統治するための権限"を朝廷と天皇に返上し、徳川将軍家が降伏しなければ江戸の町を攻撃し、火の海にすることも辞さない!!と強硬姿勢を崩しませんでした。

 …――しかし、第十五代将軍徳川慶喜とその家臣・勝海舟の英断により徳川幕府は降伏、ここに二百六十余年続いた江戸幕府は滅亡、坂本龍馬ら維新志士の宿願であった『明治維新』が成ったというのは歴史の教科書にもあるとおり。

 しかし、この話の少し前…あくまで江戸幕府存続・反明治新政府の姿勢を崩さなかった幕臣・小栗(おぐりただまさ)はある夜のこと、未だ抵抗を運動を続けている会津若松の松平家を頼みとし、江戸城内に神君・徳川家康の代より貯蔵されていたという莫大な金額の埋蔵金を夜陰にまぎれ密かに運び出すことに成功。


 明治新政府軍が開城した江戸城の金蔵へ踏み込んだ頃には、もう既にそこにはびた1文の銭すら残されていなかった。果たして、時価にして総額数億円とされる埋蔵金は何処に消えてしまったのか!?!


 …というのが、一時期大ブームを巻きこした『徳川埋蔵金伝説』なのですが…赤髭にはなぜ、これを探し当てんとする某TV番組企画が終わってしまったのか、思い当たるふしがあります。
 


 …――理由は簡単、『埋蔵金も何も、もうつかってるので"謎"でもなんでもない』からです。



 しかも、『徳川埋蔵金』だけじゃありません。"甲斐の虎"武田信玄や"越後の龍"上杉謙信、そして戦国時代に幕を引いた"太閤"豊臣秀吉…――戦国史上に燦然と輝く歴史を誇る名将達の残した埋蔵金も、その大半が既に発見されているんです。



 時系列順に追って解説、お話ししていきましょう。


 先ず、最初は上杉謙信の埋蔵金伝説。

俗に『越後黄』と謳われた鳴海金山(なるみきんざん)、そして西三川金山を越後国直轄領に擁していました。

 また、麻や木綿といった強い繊維が開発されておらず、貧困層は紙製の服すら着ていたという戦国時代、越後では衣服の材料としては第一線級の素材である『青苧(あおそ。今でいうところのカラムシのこと)の領内栽培が盛んで、これを北廻り航路で京の都まで出荷し、莫大な利益を得ていました。

 毎年の様に信濃川中島で好敵手・武田信玄と死闘を演じ、越中国(現富山県)の一向一揆や関東の北条氏康とも槍を交えた戦国きっての合戦莫迦…もとい毘沙門天の化身である関東管領殿は、決して財政音痴な潔癖の人ではなく、金勘定にも長けた辣腕の経営者でもあったのです。

 結局、1578年(天正六年)に急遽として意識を失い、そのまま冥府へと旅立ってしまった謙信が生涯に残した遺産は現在の貨幣価値に換算して約27億円にものぼりますが…これは埋するまでもありませんでした。



 上杉謙信の死後、後継者を名乗っていち早く越後春日山城を占拠した上杉景勝がその全額を差し押さえ、しかもその大半を甲斐の武田勝頼に贈答してしまったからです。


 この莫大な黄金に目が眩んだ勝頼、反景勝派閥から親景勝派閥に鞍替えし…――景勝は世継ぎ争いの好敵手だった上杉景虎を越後鮫尾城で自害に追い込み、上杉家の家督を相続することができたのです。

 だから、上杉謙信の遺産は幾ら埋蔵金伝説にしようったって『甲斐の武田勝頼』が持ってるんだからどうしようもありません。次にいきましょう。


 武田信玄の埋蔵金…――いっときは『諏訪湖の湖底に沈んでいるんじゃないか?』という説が有力視され、たびたび学術調査が諏訪湖を調べていますが、未だそれらしきものは発見されてません。

 そりゃあそうでしょう、もしそんなものがあったとしたら後継者である武田勝頼が使わない筈がありません。
 だいたい、諏訪湖の湖底なんかに恐らくは金塊であろう大量の埋蔵金を沈めたりなんかしたら…戦国時代当時の日本では二度と浮かび上がらせることが出来なかったでしょう。

 そも、埋蔵金とは『今は滅亡の危機に瀕しているけど、いつかは御家再興を果たしてみせる!! それまで、隠し財産にして敵の手に渡らせないぜ』的意味で隠す訳ですから…――んな、諏訪湖の底とかいう邪魔臭い場所にわざわざ沈める必要性がありません。


 そして、その武田勝頼が滅んだのは1582年(天正十年)

 織田信長の嫡男・勘九郎信忠とその補佐として滝川一益による甲斐武田家討伐軍が出撃すると…信玄の威光も無敵の騎馬軍団もあったもんじゃありません。
 まるで櫛の歯が抜けるように武田家の勢力は瓦解、まともな合戦らしい合戦も出来ないまま、信じていた味方にも裏切られて勝頼はあっけなく滅びてしまいました。

 このとき、残された甲斐武田家の遺産は誰のものになったかといえば、この時点で武田一族で唯一の生き残りである穴山梅雪(あなやまばいせつ)

 武田信玄の姉を母に、娘を妻に持ち先祖は武田家と同じ新羅三郎義光という由緒正しい源氏の末裔であり、甲斐武田家の後継者となるに充分な資格のある梅雪でしたが、宗家を裏切った天罰でしょうか…。

 徳川家康と一緒に堺見物に来ていたところあの『本能寺の変』に遭遇、甲斐めざして逃げ落ちる途中に落ち武者狩りにあって命を落としてしまいました。


 そして、この穴山梅雪の管理していた甲斐武田家の遺産を掌中に納めた人物こそ、織田信長亡き後に天下人の地位を獲得した『難波の太閤様』こと豊臣秀吉です。

 これで上杉謙信と武田信玄が残した埋蔵金は猿関白の手に渡りました。


 はい、次。

 その秀吉が世を去ったのは1598年(慶長三年)です。
 元から気前が良く、自分の財産を毎年の様に大坂城で諸大名へばらまいて居た陽気な太閤殿下でしたから、その臨終の際にもかなりの金額と価値のある形見分けを行っています。

 その恩寵に預かった武将は徳川家康を筆頭に前田利家、小早川秀秋、上杉景勝、宇喜多秀家、石田三成…なんと総勢210人にもなったのですが…。

 さすがは太閤秀吉、それらを差し引いても大坂城に残された遺産は現在の貨幣価値にして約2416億円となりました



 徳川家康はこの馬鹿げた桁の遺産を何とか浪費させようと、豊臣家にあれこれカネが掛かるようなイベントの開催やお寺・大仏の建立などを薦めていますが…1615年(元和元年)豊臣家が滅亡した時、それでも大坂城には200億円近いお金が残されていたそうです。

 …えぇ、赤髭が思わなくっても戦国最強の吝嗇家(りんしょくか…ぶっちゃければドケチという意味)であろう徳川家康がこれを素直にお寺に納めるわきゃあありません。

 かくして、豊臣秀吉やその意思を継ぐ立場にあった豊臣秀頼、そして淀殿が『埋蔵金』にするはずだったお金は、次代の覇者である徳川家康の掌中にりました。



 さぁ、次いきましょう次。

 そして、1616年(元和二年)…今度はその徳川家康が亡くなりました。


 世継ぎであり、徳川幕府二代将軍である徳川秀忠は勿論、紀伊・尾張・水戸の御三家や越前松平家など、家康ゆかりの親類縁者・家臣達による遺産分配相続や形見分けはありましたが…やはり、それが差し引かれてもその金額はざっと見積もって約5000億円は下らないだったとされています。

 計算高く慎重な家康はこの莫大な遺産はすぐに幕府の国庫には収めず、ひとまずは自分の居城であった駿府城の金蔵と天主閣に『埋蔵』するように遺言しました。

 赤城山だとか日光東照宮のなかだとか色々取りざたされた徳川埋蔵金伝説ですが、ふたをあければ何ということはなく…――家康は、自分が最晩年を過ごしたお城の中にめたんです。謎もへったくれもあったもんじゃありません。



 しかし…――残念ながら、死んでしまった人間に『埋蔵金』を死守することは出来ません。江戸幕府二代将軍徳川秀忠は、家康の側近であり信頼する右腕であった本多正信が死去すると、さっそくこの埋蔵金をり出すように指示します。

 あらためて御三家などと分配して相続を終えると、歴代将軍の菩提寺である上野寛永寺の造営や、『東照大権現』となり神様となった父・徳川家康の威光を子々孫々まで伝承するための一代記念碑・日光東照宮の建築に着手します。

  
 そして、これらが完成するころには……なんとまぁ。
( -(,,ェ)-)



 …徳川家康のケチと我慢の結晶であった遺産金は、全額すっかり使いきってしまったらしいのです。



 …――さぁ、話を元に戻しましょう。

ぇえ、御明察です。もうお判りいただけましたよね?



 そう、家康が死んでから約二百五十年後、新たな時代を切り開いた明治新政府軍が江戸城の金蔵に踏み込んだとき、そこにビタ一文の銭すらのこされていなかったのは…――

 『誰かが持っていった』
んじゃなくて、『本当に全部使い切って、カラッケツだった』からだったんです。

 第一、お金があるなら…――そんな莫大な埋蔵金があるなら、明治新政府軍に江戸幕府が倒され、江戸城が陥落することはなかったでしょう。
( ・(,,ェ)・)。oO ( というか、明治政府軍が江戸城に攻め込んだときには、江戸城には本丸天守閣がなかったんです。なぜかって?何度も何度も火事にあってそのつど建て直して…もうこの幕末には、再建しようにもお金が残ってなかったからです。 )




 のちに、『徳川埋』を江戸城から持ち出したとされる小栗忠順が夜陰の闇にまぎれて運び出したものは、関係者の証言から『火縄銃や大砲につかうための火薬』であったことが判明しました。


 まぁ、オチとしては綺麗なもんですよね。

 明治維新から今年でざっと百五十年。この百五十年間という長い長い年月…――歴史研究家やTVディレクター、トレジャーハンター達のあいだで『埋蔵金伝説』として信奉され、必ずどこかにある!!と信じられていた莫大な財宝は…


 近代日本の扉を押し開けた明治維新の偉人達に向けて、徳川江戸幕府が最後のあがきに撃ち込んだ火縄銃の爆音と共に燃えて、きれいさっぱり灰燼に帰してしまってた、っていうんですから…。


 
 

■さらに戦国時代の知られざる秘話やためになる格言、知識を得たい人は
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■赤

http://akahigetei.extrem.ne.jp/main.html



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『赤髭亭』
にて御覧いただけます!!



■相互リンク
☆【日本の歴史】もっと戦国時代を知ろう! おもしろすぎる戦いの数々

富田様のサイト。戦国時代における合戦にスポットを当てて紹介されています。

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