大河『風林火山』第二十九話 逆襲!武田軍 感想



■人生最初の敗北、自信喪失と絶望から立ち直る武田晴信

 さて、今まで合戦で敗北を喫さず、挫折も知らなかった若き甲斐の虎・武田晴信(市川猿之介)が焦燥と増長の末に激突した北信濃の強豪・村上義清

 これまで孫子の兵法と負け知らずの快進撃を頼みに、これ以上は勘助や老臣達に頼らずとも大丈夫…決してなめられまいと猪突猛進した晴信は、板垣信方・甘利虎泰を討ち取られる大失態の上に自身も左腕を負傷するという惨敗となりました。

 冒頭、自失呆然とした晴信の青褪めた顔はこれまでに見られなかった表情で、信頼していた家臣達を死なせてしまった自責の念から撤退することもできず、母・大井夫人(風吹ジュン)からの諌めの手紙でようやく撤退を決めます。

      

 その敗北を畳み掛ける様に合戦を仕掛けてきたのが、これまで存在感と威圧感が空気に等しかった信濃守護職・小笠原長時、その武力を後ろ盾にして旧領地・諏訪郡奪取を目論む狡猾な狐・高遠頼継。

 弱っている敵は徹底的に叩くのが戦国の常道、ではありますが…村上義清と比較して格が二枚も三枚も落ちるもの同士の結託。狐が頼みにした虎もお粗末ながら、威を借りた虎もまたブレーンにした狐が浅墓に過ぎたのです。

      

 気位ばかり高くて頼継の本心が見抜けない小笠原長時の、この間の抜けた雰囲気。

 そんな組しやすい馬鹿殿相手に、爪を隠しきれない能の無い鷹・高遠頼継との会話は軽妙で、視聴者に『ああ、こいつらじゃ勝てないな(笑』という雰囲気を判りやすく、また説得力のある絵面で印象付けると共に、本格歴史大河・風林火山の硬い空気に肩の力を抜く余裕を与えてくれています。(´・ω・`)

      

 そんな程度の知れた似非の虎+智恵の浅い狐に弱り目を叩かれるほど若き甲斐の虎は脇が甘くありません。晴信の傍らには、その幼少よりその成長を見守り、武将としての規範、あるべき姿を指し示し、死後までも主君輔弼の職務を全うした忠義の臣の姿があったからです。



 晴信の傳役であり、『両雄死す』で感動的な最後を遂げた忠節無比の傅役・板垣駿河守信方(千葉真一)が己の死後の動乱を見越した策を残していたこと。

 上田原の合戦で壮絶な討死を遂げる前に、板垣信方は晴信直筆の『諏訪法性上下大明神』の揮毫を軍旗に仕立てて旗に掲げた他、河原村伝兵衛(有薗芳記)を諏訪に遣わし、諏訪西方衆や伊那の諸豪族の調略を行っていたのです。(第27話・最強のを参照のこと)

      

 また、劇中では語られませんでしたが脚本によると…小笠原長時が、台詞の中で『我が』と言って頼みにしていた信濃日岐城城主・仁科(にしなどうがい ????〜???? 盛明、肥後守)を、塩尻峠に集結していた守護小笠原軍より離脱させたのは事前に策を仕掛けておいた板垣の功績であるとされています。


(劇中では仁科道外は顔すら見せませんでした。
 たぶん、時間の都合か何かで省されたのでしょう。『風林火山』DVD-BOXが発売された暁には、特典映像に入ってるかも?
( ;・`ω・´))


( ・(,,ェ)・) ■註・2007年当時の赤髭の呟き。実際には入っていませんでした。


 まだ晴信に信服せず、何かあれば離反しそうな諏訪家の武将達の心を再び晴信奉戴へと収攬させ、さらに敵方の弱い結束や慢心の隙を突いて地盤を緩ませる板垣の地固めは、命を張って諌めたことで冷静さと慎重さを取り戻した晴信ら武田軍に小笠原・高遠連合軍を確実に撃ち破り、再び甲斐武田の信濃における名誉挽回へと繋がっていきます。

 勘助らの輔弼もさることながら、今回の主役は完全に武田晴信-板垣信方主従。死して尚も武田家のことを考え、晴信のさらなる成長と雄飛を願っていた信方の深慮の前、さしもの勘助も今回ばかりは割り込める出番がありませんでした。

      

 さて、そんなこんなで場面は終盤。

 老臣の死とその直後の動乱を見事乗り切った晴信が、小坂観音院で自ら揮毫した諏訪大明神の墨跡の前で『人は 人は石垣 人は堀 情けは味方 仇は敵なり』の所存と築城を行わぬ誓いを立てた後、板垣の死を涙ながらに惜しみ慟哭、嗚咽する声も震わせる姿が、視聴者から強い同情と憐憫を誘うという印象的なフェードアウトとなったのですが…今回は、この赤髭の我侭という事で敢えて今回の敵方二人組みについて語らせて下さい。


 はい、『なんで晴信&板垣じゃないんだ』って? ( ;・`ω・´)


 いいじゃないですか、大河史上…ここ迄徹底して『道』を演じきった戦国武将というのは素晴らしく稀有なコトだと想いますし、何より赤髭は彼らのその余りにもあんまりな風格にすっかりれてしまったのですから。


( ・(,,ェ)・) ■当時のはっちゃけた赤髭の語り口調そのままに展開していきます。まぁ、今見ても小笠原長時と高遠頼継の小者感は何より勝る印象を与えてはくれますが。





小笠原長時(今井朋彦)With高遠頼継(上杉祥三)

甲府から塩尻峠までの間、甲斐武田軍の行軍があまりに遅い上に夏の日差しに耐え兼ねた小笠原軍が水遊びを始める中、具足に身を包んだ高遠頼継(上杉祥三)が登場。


 …急いで畏まる雑兵達を忌々しそうに見ながら本陣へ駆け込み、大将である小笠原長時に

      

『軍律の乱れを指摘し、士気を引き締め具足着用を徹底するべし!!』

と訴え出たら、

      

肝心の小笠原長時が具足もつけぬ片肌脱ぎの姿で、真昼間から酒盛りの最中だった。

このシーンで思わず反り返り、壁紙でマトモに顔を擦った人は私だけでは無いと想うのです。

      

 小笠原家に流遇している身にも関わらず、あつかましくも
『諏訪を取り返し、が物としてみせる!!』  

と高遠頼継が我欲我執たっぷりに恥も臆面も無く言い放っては、その都度小笠原長時はワンテンポ置いた後に、まるで『ン?( ;・`ω・´)』と思い出したかのように

      

治めるのはじゃ!!


 とツッコミをいれていたあの絶妙な間の取り方は、夢路いとし喜味こいし師匠の真髄に通じるものがあるほどの軽であり、合戦続きで緊迫した状況の続く甲斐信濃戦線に置いて、素晴らしい腰砕けっぷりをもたらしてくれました。

 まぁ、そんな下心だだもれの高遠頼継をさらに上回り、唖然閉口とさせた長時のボケっぷりには、勘助じゃなくても『いくさに負けるものの気配』がはっきり判る。


 平蔵が急長してしまい空席となっていた【大河『風林火山』の道化師】ポジション、そのおいしすぎる跡目をがっちりキープして視聴者の心に笑いを誘う…真面目一辺倒ではない大河『風林火山』の茶目っ気演出がたまりません。


 この、固唾を飲んで展開を見守る視聴者の脚を見事に払ってなお雰囲気をぶち壊さない仕掛けには、毎度の事ながら本当に関心させられます。(汗



 さてさて。親族であった諏訪家を裏切り、誼を通じた甲斐武田家をも欺き、欲望と執念にまみれた選択肢を選び続けた梟雄・高遠頼継でしたが…その滅びにもまた、実は笑えるという要素以外にもしっかりと、滅びゆく者の末路という意味合いが深く含まれています。。


 弟の蓮蓬軒を失い、伊那郡と高遠城…所領も手離し、端も外聞も捨てて小笠原家に走り…最後には端武者の様に捉えられるという、勧善懲悪な展開…良い意味で期待を裏切らない最後。

 『甲山の猛虎』飯富虎昌の赤備に槍衾を突き付けられ、半泣きの表情でべそをかくその様はただただみっともないの一言に尽きます。もう切羽詰った、もうだめだ御仕舞いだあぁあ的な高遠頼継の眉寄せた絶望顔は小者という彼の立場を何より如実に物語ります。

      

 高遠頼継の最後には、かつて平賀源心や諏訪頼継の最後に醸し出されていた戦乱の世の無情さや悲哀、滅び行く者の美学がまったく感じられませんでした。

 しかし、彼の様な戦国武将…才能に恵まれず奸智ばかり働き、武田信玄や上杉謙信といった英雄達に歯も立たず敗れ去っていった者もあること…――こういう他愛もない小者の骸が積み重なった土壌あるからこそ、甲斐の虎や越後の龍は根を下ろし覇を競えたわけですが…しかし、同じ敗者であっても後世語られる形は様々です。高遠頼継の最後は、けなされることはあっても憧れられることは絶対にありません。

 同じ敗北者であっても、諏訪頼重や真田幸村の最後とはえらい違いです。

 北条氏綱が言い残した遺訓は、魂の底では勧善懲悪、信義を貫き通した者への賞賛喝采を惜しまない日本人の精神を良く良く捉えていたのでしょう。重ね重ね、戦国武将の最後の迎え方とは重要なものです…。  


『…古い物語を見ても、義理を守って滅んだ者と、義理を捨てて栄華を勝ち得た者とでは今日での評価が全く

…義理を違えて不名誉な名が残るくらいなら、いっそ義理を貫き通してんでしまえ。そうすれば後世までその武勲や名誉は讃えられるだろう。

 また、義理を違えて悪逆非道な行いをして栄華を得たところで、その栄光も名誉も長くは続かない。悪逆の報いは天命に拠るものだ、決して逃れられはしない。』
             (北条氏綱公御書置 第一条)



      

 『おのぅれ武田!! おのれ、おのれおのれおのれ おのーッ!!! ( ;・`ω・´)

 『高遠継!! おぬし、幾たび"おのれ"を叫べば気がすむのじゃ!!』




                 



 さて、次回はいよいよ第三十回『天下への道』。今川義元・北条氏康・上杉憲政といったこれまで登場済みの戦国大名達に加え、あらたに甲斐武田家に立ちふさがることになる越後の強豪・長尾家の面々が登場します。

      

 今は無き名優・緒形拳が演じる長尾家の軍師・宇佐美定満が山本勘助に匹敵する存在感を、そしてGacktがドラマ初体験とは思えない圧倒的な演技力と威圧感、ビジュアルを備えた存在として初見参。五年経とうが十年経とうが見ごたえの衰えない二人に注目です。








■歴史痛Check-Point 小笠原長時の波乱に満ちた生涯。

さて、今回の塩尻峠・勝弦峠の合戦で決定的な打撃を受け、南信濃における覇権を晴信に奪われた小笠原長時ですが…――実は、この敗亡後の人生がなかなか面白かったりします。


 腐っても信濃源氏小笠原家の総領、その名声や手腕を様々な戦国大名に買われる、または利用されるなどして、水戸黄門なんか目じゃないくらいの距離を移動し各国を転々としているんです。

 1550年、今回のお話から二年後に武田晴信の進行を受けて所領を失い居城の南信濃・林城から遁走した長時は、尚も奥伊那・鈴岡城で武田家に対抗していた弟の小笠原信定を頼りますが、そこも1554年に武田家に落とされ、長時兄弟はまたもや城を捨てて逃亡。

 大河ではこのあと上杉謙信を頼ったとされていますが…実は、謙信のもとでずっと居候をしていたわけではありません。

 1555年(弘治元年)、長時が向かった先は京都でした。
 実はこの時期に室町幕府から将軍を追い出し天下の覇権を握っていた三好長慶は長時と同じ信濃小笠原氏を祖とする遠縁の同族。
 長慶から見れば小笠原長時は信濃源氏小笠原家の棟梁であり、迎え入れて優遇する理由もあります。
 かくして1559年(永禄二年)、長時は三好長慶の仲介を受け、京都に帰還した幕府十三代将軍・足利義輝の直臣となります。

 実は戦国時代の武家礼儀作法であり、馬術・弓術の家元である小笠原流の宗家でもあった長時はその技術と、ある合戦においては自ら刀を振り回して十八もの首級を挙げたという勇猛果敢な気質を買われていました。大河ではひたすら情けなさが強調された小笠原長時でしたが、ああ見えても甲斐武田家の歴史を綴った「甲陽軍鑑」でも、勇猛な大将と褒められているんです。

 現代にも小笠原流兵法として伝わるその奥儀を義輝や長慶ら三好一族に伝授しつつ、長時は近畿の戦国武将として活動。
 1564年に長慶が没すると次の実力者になった松永久秀や三好三人衆に接近し、1568年には三好三人衆と共に織田信長の奉戴した室町幕府十五代将軍・足利義昭を本圀寺で強襲しています。



 しかし、時代の流れは悲しいもので…織田信長によって、三好一族は壊滅状態に。一緒に京都まで逃げて来ていた弟の信定も討死し、長時はここで再び上杉謙信を頼って越後に逃れます。

 以降は上杉家の客将として活動しますが、1578年に越後の龍が脳溢血に倒れて世を去ると信長の猛攻を受けた上杉家は半壊滅状態。


 次に長時が転がり込んだのは、こともあろうにその織田信長の下でした。

 天下布武戦略における十年来の宿敵だった本願寺が降伏し、信長包囲網にとどめを刺した信長が次に狙った相手は甲斐武田家。
 既に信玄はこの世になく、1575年の長篠の合戦で大河『風林火山』でも活躍した山県昌景や馬場信春を失っていた武田家に対し、信長はそれを攻め滅ぼす大義名分として、長時を利用したのです。


 1581年から信長の客将として近畿に舞い戻った長時は、小笠原兵法の奥儀である馬術・弓術を織田信長・徳川家康らに伝授。

 大河『江』でも豪華絢爛ぶりを描かれた京都御馬揃えにも参加し、名門の誇りも高らかな京都暮らしでしが…なぜか長時、この京都の暮らしを捨てて、信長のもとに三男の小笠原貞慶(おがさわらさだよし)を置いて、自分は南陸奥は会津(現福島県)の蘆名盛氏を頼って都落ちしてしまいました。

 織田信長みたいなパッと出の格下に、『甲斐武田攻めの名目だけで』囲われてることに気づいたのでしょう。

 以降は、卓越した戦術家として蘆名家の軍師となり活躍しました。
 1582(天正十年)六月、かつて小笠原家を滅ぼした怨敵の甲斐武田がなすすべもなく信長に滅ぼされ、武田勝頼が死んだ報を故郷から遠い会津で、長時は聞くことになります。


 しかし、時代とは判らないもので…1582年(天正十年)、今度はその信長が本能寺で滅びました。

  織田家はまだ占領して間もなかった甲斐武田の遺領、信濃国・甲斐国の統治を放棄。
 途端に両国は徳川家康、上杉景勝、北条氏政、そして真田昌幸による千里一望の草刈場になりました。
 かつて武田信玄に滅ぼされた諏訪頼重の従兄弟・頼忠ら信濃諸豪族もこれに乗じて故地を奪還、そのなかには長時が京都に置いてきた三男・貞慶の姿もありました。
 貞慶は父が失った信州松本を取り戻し、家康の家臣として林城城主になっていたのです。


『やった、久し振りに故郷へ帰れる!!』

 長時はすぐに蘆名家へ暇乞いをし、荷物をまとめて信濃国に帰ろうとしましたが…無常なるかな人の運命は。天命を使い果たした小笠原長時は遠い会津の地で生涯を
えます。

享年七十歳、病死とも、恨みを抱いていた家臣に斬り殺されたとも伝わる最後でした。

 余談ですが、東京都の南、太平洋に散らばり貴重な動植物が残される世界遺産の小笠原諸島は、長時の孫である小笠原貞頼が発見したのが名前の由来とされています。


大河『風林火山』第二十八話 両雄死す 感想【後編】

JUGEMテーマ:コラム
 

■長らく更新が途絶えていた2007年大河『風林火山』の感想及び解説を久々にUp。

 最近になってこのブログを御覧になった皆様には唐突過ぎて何がなにやらかもしれませんが、元々はこのブログ、2007年『風林火山』の当時の感想と解説の復刻・加筆を目的にしていたんですね、いや本当に今さらですが。
 (*´ー`)。oO( 気がついたらそろそろ六年前になりつつある題材なのに気づいて焦り出したとか今さら言えない。 )

■なお、今回から武田晴信役を好演した市川亀治郎さんの表記を、現在のお名前である『市川猿之助』に変更します。


   



■甘利虎泰(竜雷太)&村上義清(永島敏行)

 さて、今回は第二十八回『両雄死す』後編と題して、武田の両職・甘利虎泰の最後をピックアップしていきます。

 これまでは小手先ばかりの策を弄して若い武田晴信(市川猿之助)に取り入る勘助に対し敵愾心をむき出しにしていた甘利虎泰ですが…前回は勘助も見落としていた戦国武将としての欠陥を見事に指摘、叱咤することでその存在感を大きくしました。

 今回はその虎泰が大井夫人に謁見、対座する場面から始まります。

 



「…甘利…何があっても、またこの甲斐へ…戻らねばなりませぬぞ。」


 



『…有り難きお言葉。この甘、何があっても…この甲斐の地と共におりまする。


 これまで通り、落ち着き払った甘利の態度と表情。
 物静かながらも、戦場に出れば『野に放たれた猛牛の如く』と賞賛された歴戦の武将に似合わない厳しい表情。勝利に向けての不惜身命…決死の覚悟を見出したのか…大井夫人が心配そうに声を掛けますが、甘利虎泰は感慨に浸ることもなく。


 大井夫人の心配する顔、何があっても甲斐に戻らねばならないという訴えにも『必ず甲斐に生きて戻る。』とは、とうとう言いませんでした。なにがあるか判らない乱世、心が守れぬ約束を交わすことなど…死の戦場を駆け抜けてきた老練な戦国武将である虎泰には、出来なかったのでしょう。


 板垣信方は既に腹をくくり、『守るべきものを守る為』に次の戦場を最後のご奉公と腹を括っていますが、虎泰は虎泰で勝ちに逸り冷静さを欠いている晴信に何としても勝ち鬨を上げさせるべく、乾坤一擲の策に出る覚悟をしています。


 その策略とは、俗に『死間』(しかん)と呼ばれるもの。謀略のため単身敵地に潜入し、目的を達するためにはその場で命を捨てる覚悟も厭わないという、不惜身命の覚悟。

これより…村上の本へ赴く。…敵の懐に飛び込み、村上のをとる所存じゃ。…陣中にて大将が討たれたとあらば、敵は所詮烏合の衆。 まとまりを欠いて引かざるを得まい。…その為の画策じゃ。』

 



《初鹿野伝右衛門》 「貴方様は、如何なりまする!!


『…恐らくはれまい。』 『…さすればこの戦は終わる。…勝ち戦じゃッ…多くの味方をわずに済む。…この儂が、何としてでも勝ち鬨を上げさせて見せる!! …儂にはこれしか、が思いつかなんだ。』


 あの誇り高い甘利虎泰が、小手先でのに走った瞬間でした。

 実はこの『死間』と呼ばれる決死の策、あれだけ虎泰が嫌悪していた勘助が二言目には口にする『孫子兵法十三篇』にも記載されている"用間の篇"、つまりは謀略のためのコーナー…そこで挙げられている五種類の策略のひとつでもあります。

 
甲斐国の民を救うため、守るべき者を守るため。

 かつて『荻原常陸介に並ぶ甲斐武田家の軍師』と先代・武田信虎(仲代達矢)にも賞賛された兵法者であった虎泰が、最後の御奉公に選んだのが槍働きではなく、『戦わずして勝つ為の策略』…孫子の兵法であったことは偶然でしょうか。


 …――いえ。これは長く勘助が解き続けてきた兵法の極意が、勘助にも周囲にも気づかれぬうちに『武田の猛牛』を感化させ、最後の最後で敬服させた証と見るべきでしょう。






 そして、その甘利虎泰が一命を賭して討ち取ろうとした剛勇の武将が、信濃上田原を挟んだ彼方に陣を敷いていました。故地信濃を、侵掠者から守る為に…甲斐武田家の馬蹄に、これ以上故郷を踏み躙らせぬ為に戦う者達を従えて。

 その鋭い眼光で武田菱の馬印を睨み続ける大剛の武将こそが、村上周防守義清(永島敏行)。

 上田原に展開する一万を越す武田軍を目の当たりにしても、その意気軒昂な様子はまったく翳りを見せません。

 

志賀城をよ!! …武田に負ければ、そなたらが首は悉く刎ねられ、野に屍を晒そうぞ!! 領地に残る女子供は、皆り飛ばされよう!

 
百姓といえども容赦は無い!! よいか、男どもは金山に送られ、女は遊女に落とされるのじゃ!!

  武田は、我らが、我らが里を侵そうと狙っておる!! 武田、断じて赦すまじ!

 …この戦、我らに正ありッ!!』



 真っ白な鉢巻を締め、黒い当世具足に陣羽織を羽織った威風堂々の演説に村上軍が歓呼します。
武田信玄より二十歳年長、円熟期にある壮年の戦国武将姿が格好よく映えます。


…まだ若輩の晴信には無い深みの有る説得力、肝の底から勇気を奮い起こすかの様な頼もしい親分肌の戦国武将の喝に、村上軍から大きな歓声が上がるシーンは見ごたえがあります。

…板垣信方をして百戦錬磨と言わしめた老練武将の見事な人心掌握術。…甘利虎泰が一命を掛けて討ちとろうと企んだだけの事はあります。


 そしてその頃、武田軍本陣には『甘利虎泰寝返り』の報が。2007年放映当時、本業の歌舞伎さながらの凄まじい顔力を発揮した猿之助晴信のシーンがどうしても目につきますが、顔芸云々という評価は兎も角…この表情ほど勝利に固執し、周囲が見えなくなっている『挫折を知らない青二才』を如実に物語るものもありません。今改めて見てみれば、その鬼気迫る顔には圧巻されます。

 



 そして、勘助は勘助で甘利の寝返りが過日の御説教とオーバーラップし、それが『死間』であると直ぐに看破します。…――ここにきてようやく、晴信の目が醒めるのですが…



 しかし、晴信の心を動かした虎泰捨身の策略は失敗に終わってしまいます。あとわずかで義清を切れる、その瞬間に暗闇から放たれた一本の強弓、文字通り"伏兵"であった平蔵(佐藤隆太)の射た鋭いによって撃ち砕かれ、膝から崩れ落ちた途端、一気に村上陣営の空気が張り詰める一瞬が視聴者へ堪らない圧迫感を伝えます。


…甘利虎泰の投降を本心と信じて疑わなかった義清の眼が見開かれる前、失敗に終わったとあっては『野に猛牛を放つが如し』と唄われた兵法者である虎泰も、虚しく村上方の武者に組み敷かれるばかりです。

 



《村上義清》 『…甘利殿、謀ったか。…捨て身でこの儂の首を取りに参ったか。 それほど武田は窮しておるか。その窮状を、 そなたが命を掛けて、おうとしたか!!

 




  『…窮してなどおらん…。
   おぬしの首など、一人で充分じゃ!!』

 

…篝火に煌々と照らされた中、古気質の戦国武将二人が睨み合いますが…流石は村上義清と言うべきか。

 

 決死の覚悟で突っ込んで来た虎泰の不惜身命かつ不退転の覚悟に、"漢"の魂を見出したようです。
 …言わせて下さい…これは最の村上義清です。


 …こんな侠気に溢れたカッコ良過ぎる義清はついぞ見た事がありません。

 上條恒彦さんの義清も良かったですが、やはり脚本というのはここまで見る者を感動させるものなのでしょうか…義清をここまで、信濃戦線における最大のライバルと位置づけて描き、ただ甲斐武田に一蹴されるだけの存在に置かなかった事は、長年の義清贔屓である赤髭としては感無量でした

…なにせこのくだり、井上靖原作『風林火山』では、義清には台詞一つすらかったのですから…それを踏まえると最強の脚本演出と言って良いでしょう。
 千葉真一さんがこのくだりを読んで脚本家の大森寿美男さんを飲みに誘ったというのも頷ける、良い意味での男臭さ全開です。



 しかし、虎泰は虎泰で彼の男気にあっさり惚れるわけにもいきません。勘助の真似事までして単身敵陣に潜り込んだは良かったですが、その策略があっさり失敗してはいけないのです。前回、叱咤される前の勘助なら余裕で捕虜のままいたことでしょうが、今の虎泰の両肩には、甲斐国の領民の命が掛かっているのですから。


 『自害などさせない』と義清が幽閉を命じますが、決死の覚悟で脱出して上田原を疾駆します。

 この逃亡が命取りになることは、長年の戦歴を考えても虎泰に読めないはずはありません。これから村上軍の総攻撃が始まる以上、何もさえぎるものが無い上田原を単騎駆けとあっては、後ろから矢の雨をその身に受けるのは必定です。

 命が惜しければ捕まったままで居ればいいのです。村上義清は、生きて家臣になって貰うとまでその如才を買っていたのですから、勝っても負けても命は助かるんです。


 …それでも。死ぬと判っていても、失うものが自分の命より重いとあれば、命を掛けて道を切り開く意固地こそが、古気質の戦国武将が最後に敢行した御奉公でした。

 

 板垣信方への陣に辿り着いた時には既に、その背中には肺腑を突き抜けているであろう致命傷の矢が数多突き刺さっていました。板垣の下に辿り着くやいなや豪快に落馬する虎泰、血泡を吐きながら掠れる声で撤退を促す虎泰の顔には、赤髭不覚にもが出ました。いや、何度見ても涙腺に来ます。
 『江』では何回お涙頂戴のシーンをみてもまったく心が揺れませんでしたが、この視聴者に訴える迫力はまさしく、鬼気迫るものがあります。


…かくして、先代信虎の代より甲斐武田家に忠勲を尽くした兵法者・甘利虎泰は戦場にて名誉の討死、この世を去りました。享年不詳。

 



…板垣殿…退け、退けェェェぃ…。

      …謀り事は、やはり不得手であ…済まぬ…。

 その青褪めた顔に見た武田の古兵(ふるつわもの)の魂は、その後に甘利家の家督を継承した子供達…あの武田二十四将に劣らぬ奮戦振りで信玄からも信用された甘利昌忠、長篠の合戦で戦国最強の鉄炮隊に命を賭けて激闘した甘利信康らに受け継がれていくこととなるのです。

 


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■赤


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大河『風林火山』第二十八話 両雄死す 感想【前編】

JUGEMテーマ:コラム
■平成23年9月1日 加筆修正・画像を追加。


  ■さて、今宵は久々に大河『風林山』の感想と解説を掲載。

 好い加減長く放置され過ぎて、このブログがそもそも07年大河『風林火山』の感想およびコラムの復刻を中心に連載されていたことを忘れかけていた筆者ですが…――大河『江』の話題感想に沸き返る現状を鑑みずに今夜は暴走、需要と話の流れを読まずにブログ方針を源流回帰させていきたいと思います。



■あんまり前のこと過ぎるので、お話のおさらいを兼ねてこれまで紹介・解説した07年大河『風林火山』のエピソードやその物語展開を一覧表としてみました。

 百戦錬磨とうたいながらも実は書物の上だけの兵法達者だった主人公・山本勘助。恩讐関係が急展開していく戦国乱世に揉まれて徐々にその頭角を現し才覚器量を開花させていきます。

 最初こそは愛する人の仇敵となった甲斐武田家を追い落とすべく様々な策略を張り巡らしますが、最終的にはその復讐の的だった武田信虎をクーデターで追放させた若き英傑・武田晴信の人格に傾倒していき、きづけば甲斐武田のために働く足軽大将、ついで軍師へと成長を遂げます。


 しかし、好事魔多し。順調に勢力を拡大していく若き英雄・武田晴信にいくつもの難関が立ちはだかります。

 北信濃の雄・村上義清、そして越後の龍・長尾景虎…─―そして、彼自身の心に巣食った『敗北することへの恐怖』、『勝ち続きで負けを知らない青二才特有の慢心』。

 いったい山本勘助はこの数多の敵にどう立ち向かうのか。一度負ければいろいろと心の整理もつくだろうという考えに達したものの、その考えはかつて家中で対立した甘利虎泰に面前で論破され、板垣信方は晴信に直談判するもその心の闇を振り払うことが出来ない。


 最後の手段をとることを決めた甘利虎泰と板垣信方。甲斐武田の虎・武田信玄を育んだ二台巨頭はついに、その腹をくくり決戦の場・上田原で強敵・村上義清を迎え撃つ…──。




 という按配で、当ブログではこれまで07年大河『風林火山』の感想・解説を第二十七話まで掲載していましたが…今夜は復活第一弾にしていきなり中盤のクライマックス、第二十八話『両雄死す』の感想・解説の前篇を復刻致します。


 それでは、赤髭と一緒に時計の針を2007年まで巻き戻して頂ける皆様の御時間を少々拝借。。゜+. m9っ;・`ω・´)っ 。+.゜ Time Stopper !!


■板垣信方(千葉真一)

…見るものを感動させずには居られない、武勲と忠義に満ちた老練の戦国武将らしい壮絶な最でした。



■画像がぼけているのは画像処理を施したためです。ご了承下さい。



 大河ドラマを見て目頭が熱くなったというのは本当に久し振りです。配役俳優の千葉真一さんが引退を仄めかしている為、文字通り最後かもしれない切っ先鋭い剣舞も見事でしたが、額から血を流しつつも長槍を木の葉の様に振り回して雑兵を翻弄する雄姿や、騎馬の上で叉金砕棒を豪腕を以って鎧武者を撃ち砕く様は、見ていて血が沸く様な躍動感。



 しかし、板垣信方は元より、勝ちを得ずしては…生きてこの合戦場から還る積りは無かった様です。…麾下の部隊に…合戦に置いては愚の骨頂である、後方に位置する味方の後詰備との連携を待たずして、敵陣深くまで突出し過ぎるという不可思議な采配を振るいます。

 無敵の武田騎馬軍団を歴年に渡って指揮した戦国武将らしからぬ、失策。…しかしそれは、この戦に掛ける不退転の決意の現れでした。


 『良いか、この戦…何ッとしてでも、我らが先鋒のみで
  わらせねばならん…するのじゃ。
  敵が本陣へ迫るのを、何としても我らが食い止めねばならぬ。

  …さすれば、多くの味方をわずにすむ。

  しかも、我が本陣では今一度、村上と戦う術を慎重に、
  組み立てることも出来よう。
  …後は、勘助が上手くやってくれる筈じゃあ。…フフ…。』

  『わしは最早、きて甲斐には戻らぬ。

                     …武士の、誉れじゃ…。』
 

 不退転、不惜身命の覚悟で敵陣間近に留まり続ける板垣信方。幾多の合戦場に勇躍し百戦錬磨の兵法の将・村上義清(永島敏行)の麾下の元に襲撃してきた室賀・清野ら率いる夜襲軍をも跳ね返して、疲弊してもなお突出したまま、兵を退こうとしません。…まさしく、本陣を守る為に不屈不撓の盾の如し。



 本陣で勘助が板垣信方、そして甘利虎泰(竜雷太)の決死の覚悟を漸くに悟れば、居ても立っても居られなくなった武田晴信(市川亀治郎)が己へを呪う様な悲壮の表情を浮かべ、勘助の声を振り切って絶叫します。…この余りにも強く滲み出る、信方を救援けようと憤り、逸る晴信の顔にはさしもの勘助も、己と信方に掛けられている信頼の度の厚さ、深さの度合いの差に言葉を失います。

 この儂に…板垣を見殺しにせよと                 申すかぁあああぁ!!!』




 『甲山の猛虎』飯富虎昌(金田明夫)の誇る甲斐の赤備、主の怜悧冷徹さを鏡の様に反映する小山田信有(田辺誠一)の陣内軍、三途の川の渡し銭『六連銭』の軍旗を翻らせる真田幸隆(佐々木蔵之介)の軍勢ら甲斐軍が総勢で押し出し、板垣信方を救おうと躍起になって軍を押し出しますが…


 晴信の悲痛な想い、家臣達の修羅もかくやと云う奮闘振りも虚しく…鋭い槍撃に鎧鉢巻を朱に染めてなおも斃れなかった板垣駿河守信方も、甘利虎泰に続き…村上勢の放つ矢の閃光に命を落としましす。

 …見事な最期でした。…時に1548年2月、享年不詳。





 飽かなくも なお木のもとの 夕映えに…。
            月影やどせ 花もそふ…。







 ─夕映えと重なるように飽きる事無く月の光が差し込めば、
            花も一際美しく咲き誇る事であろう。

       ─勘助、そなたが月となれ…甲斐の、誠の軍師になるのじゃ…。─





■当時は気合が入りすぎて『顔芸』と呼ばれた市川亀治郎さん迫真の演技。



■さて、2007年当時解説していた文章、一度に掲載するには長すぎるため今回は板垣信方の最後に焦点をあて、前編としてご紹介致しました。

 次回は後編、やはり第二十八回『両雄の死』で最期を遂げた武田の猛牛・甘利虎泰について解説していきます。



 それでは、引き続いて…──赤髭が無駄に蓄積した戦国歴史知識を文法も見所も抑えず徒然と解説していく『戦国太噺』コーナー。あんまり前のインターフェース過ぎてこれもすっかり忘れられていましたね。'`,、('∀`)'`,、


 今回は、やはりこの人でしょう。07年大河『風林火山』序盤〜中盤に視聴者へ強すぎるほどの印象を残した名将・板垣駿河守信方についてです。

 それでは、またまたご一緒して戴ける方の御時間を少々拝借。。゜+. m9っ;・`ω・´)っ 。+.゜ Time Stopper !!


戦国与太噺。導入部、となぜ素直に命名出来ない。(画像は斬?スピリッツより)


板垣信方(いたがきのぶかた ????〜1548 信形、駿河守)

 07年当時、本格派戦国歴史大河の画面を引き締める名俳優・千葉真一さんを配し、井上靖原作『風林火山』、そして大河『風林火山』において前半部における重要人物であった板垣信方。
 全五十話の折り返し地点をやや過ぎた第二十八話で、惜しまれながらも歴史の表舞台から退場となりました。



 歴戦のアクション映画俳優でもあった千葉さんの殺陣は、大河ドラマの殺陣を長年担当してきた林邦史朗さんのそれとは明らかに違ったもので、長い槍を木の葉の様に振り回したり二刀流を駆使したりの大活躍は勿論、その存在感は抜群なものでした。

『若殿!!』 千葉真一、感きわまる表情。



 88年大河『武田信玄』でも、あの菅原文太さんが千葉真一さんに負けず劣らずの重厚な演技と存在感で好演、長い白髪を振り乱しての奮闘の末に討死を遂げたシーンは視聴者に強烈な印象を残しました。思い起こせば見事にオーバーラップする千葉板垣と菅原板垣、今思えば大河『風林火山』…意外と88年大河『武田信玄』を意識した造りだったのかも知れませんね。( ;・`ω・´)





 さて、今夜の戦国与太話はそんな板垣駿河守信方のお話です。



■甲斐の虎の師父にして傅役、板垣信方の実像
 江戸時代初期から『甲陽軍鑑』が大流行し、盛んに浮世絵や屏風絵の題材となった武田家臣団ですが、信方は『甲斐の虎』として成長していく晴信の傳役、人格形成を主導した二人目の父親として江戸庶民にも高い知名度と人気を誇った反面…――甲斐武田家武将の花形ともいうべき『武田二十四将』の中には、含まれていない武将だったりします。

(ただし、武田二十四将は江戸時代の人気や選者によって参加武将がまちまちであり、ノミネートされた戦国武将を全部足すと30人以上になり、あまり有力で無い選出では含まれる場合もあります。また、人数も二十五将・二十六将の物もあり、中には『…へ?なんでこんなドマイナーな武将が選ばれたの?』と言う様な武将も多くいます。)



 まぁ、板垣信方と甘利虎泰は祖先を辿れば武田家と同じ新羅三郎義光という鉄板の源氏、甲斐武田家家臣団でもトップクラスの重鎮。

 歴年の重鎮達である譜代家老衆の中でも双璧を成す二大巨頭、家老達の頂点に立つ『』と云う地位にあった筆頭重臣であり、武田の『両職』と謳われた老練の戦国武将。


 どちらかといえば、晴信世代になって頭角を現した武将達の活躍の物語である『甲陽軍鑑』で人気となった『武田二十四将』達とは別格扱いになっていると言っても過言ではなかった事でしょう。



 しかし…そんな板垣信方も、晩年…つまり今回の『上田原の合戦』前後頃から晴信の信頼を失い、徐々に疎んじられていた向きもあるようです。

 信方はもともとが晴信の傳役であった事、また1541年の武田信虎追放劇の中心人物でもあった事から家中での権勢も強い上、さらに家中屈指の戦上手であった事から専横めいた行動も多く見られた居丈高な武将。また、その性格も大変な頑固者であったとも伝わっています

(甲斐武田家の歴史書であり、概ね武将達には好意的に書かれていた『甲陽軍鑑』でも、"合戦上手の良い大将だが、玉に瑕なのは部下の諫言をちっとも聞かない事だ。"とまで書かれてしまっています。

 戦場で手柄を立てた者には祝勝の祝いの席で赤椀一膳を自ら手渡してその勲を労い、戦功を得られなかった者には黒椀に精進料理を盛って次の戦に捲土重来を掛けよと激励したという話が残っていますから、部下思いな良い親父さんだったのでしょうけれど。)



 死の前年にあたる1547年(天文16年)、村上氏との合戦でも独断で軍勢を動かし、突出し過ぎたにも関わらず意固地にその場に留まりあわや全滅の危機に直面。原虎胤の援軍に救われた事もありますし、諸史にその過酷さが刻まれた志賀城攻防戦(笠原清繁以下が志賀城で玉砕し、残った虜囚達が売り払われ過酷な運命を辿った事件。『苦い勝利』参照のこと。)においても討ち取った首を篭城している笠原軍に見せつけ、それを見て恐怖の余り出撃してきた笠原軍を殲滅したのは実は板垣信方の発案だったともいわれています。



 おまけに、晩年には出陣した戦場で部隊に対し総大将に無断で『勝ち鬨を上げる』命令を下したり、部下達が戦場で討ち取ってきた首を実況見分する『首実検』を勝手に行うなど、晴信を奉らない目に余る愚挙が目立つようになります。


 …何、『勝ち鬨くらい勝手に上げても良いじゃないか』って?…――とんでもない。( =(,,ェ)=)


 戦場で『鬨の声』と呼ばれる大声を張り上げる事や、自分達の勝利を宣言する勝ち鬨を上げる命令、そして討ち取られた敵将の首を実見するというのは総大将が担う大変に重要な責務であり、これを勝手に部下が行うと言うのは大変な無礼でした。

 とある戦で、勝ち鬨を無断で上げた部隊長の将が後に総大将により斬罪に処せられたという史料も残っており、これは主君を主君とも思わない重大な越権行為です。こういうエピソードを見るにしても、板垣信方は千葉さんが好演した様な人格者の戦国武将ではない、我も強ければ誇りも高い老武将であったことが伺い知れます。

■風林火山紀行で紹介された板垣信方の墓と板垣神社。
 板垣信方は煙草が好きだったそうで、放映当時は板垣信方の最期に感動した歴史Fanが大勢参拝し、煙草を供えていく方が後をたたなかったんだとか。


■板垣信方の最後とその後の板垣家の話、つづく。( -(,,ェ)-)oO( なんて司馬遼的な言い回し。 )
 …若い頃は豪胆かつ慎重な性格で兵法を練り上げた策戦巧者であり、信虎の代には敵対していた駿河今川家の領土奥深くまで突撃を敢行。


 主君の命が下るまで甲斐国に戻らなかったという忠烈剛毅の猛将であった板垣信方でしたが…年老いていくにつれて兵法の切れも失い、独断専行で勝ち鬨や首実検を行うなど、慎み深さを失ったかの様に老醜振りを晒していきます。



 主君であった武田晴信もこれらの増長には苦々しく想っていたようですが…かつての傳役でもあり、自らが武田家総領位を得た立役者でもあったため強い叱責はせず、扇に得意の和歌を書き連ねて板垣信方・信憲父子に送ると言った、やんわりとした諫言をもってその軽々しい振る舞いを制するといっただけに留まったようです。

     『誰もみよ 満つればやがて 欠く月の
                   十六夜ふ穴や 人のの中


 (見るがいい。美しく煌めく十五夜の満月もいずれは欠ける。そして、欠けてしまった十六夜の月は、欠けて行く事を知って居るのだろうか…十五夜と比べて、なかなか顔を出さなくなり遠慮深くなる。人の世も然りだ。※…我流解釈につき間違い多々含む(コラ)


 しかし…かつては和歌で主君晴信を諌めた信方も、和歌を使ったこの諫言の意を汲めなかった様です。それとも、年老いた故に頑固一徹さが増し引く事を覚えなかったのでしょうか…。



 信方は統治を任されていた諏訪郡代で勝手に論功行賞を行うなどの出過ぎた行為を続け、やがて上田原の合戦においてもその傲岸不遜が仇となり、命を落としました。


 実は大河『風林火山』では飽くまでも晴信の為と割り切り、上田原の合戦を己の死に場所と定めていた板垣信方でしたが…一説に拠れば、信方が討死を遂げたのは上田原合戦の最中、勝手に首実検を行っていた隙を突かれて村上軍の奇襲にあったせいだという説があるのです。



 深く勘繰れば、この晩年の老醜、信玄を軽んじる愚が目立ったが為に、武田二十四将から洩れてしまったのかも知れません。



 …信方の死後、板垣家総領位と譜代家老筆頭職『両職』の地位は嫡子の板垣信(いたがきのぶのり ????〜1552 信重・弥次郎)が引継ぎましたが…。

 彼も父親と同じ傲慢な性質を受け継いだ上に、父親の様に兵法に優れなかった様で…合戦場において命令を聞き間違える、突撃する味方を傍観する、仮病で出陣を休むといった体たらくであり遊興酒色を好む小人物。

 おまけに、部下や家臣を大事にしない、『武田晴信であっても守らなかったら罰せられる』甲州法度之次第をも平気で破るとあっては是非もありません。

 上田原で討死した『』の朋輩・甘利虎泰の子である甘利(あまりまさただ 1534〜1564? 信忠、左衛門尉)が父親譲りの兵法者であり、戦場で幾多の武功を上げていましたから、晴信の落胆と憤慨も大きかった様です。


 そして遂に1552年(天文21年)。目に余る失態の数々に業を煮やした晴信によって、信憲は"七か条の詰問状"を以って叱責され、職位剥奪の上甲府長禅寺に蟄居(出仕停止、謹慎)を言い渡され…遂にはされてしまいました。

 この処断に於いて甲斐源氏の裔たる名門・板垣家は断絶し滅亡してしまいました。


…のちに、明治維新とともに議会政治と憲政に命を掛け、『板垣死すとも自由は死せず!!』の名文句で知られる板垣退助の登場まで、板垣家の名は歴史に埋もれていくことになります…。


第二十七話 最強の敵 感想

JUGEMテーマ:コラム


■大河『風林火山』2007年を振り返るプレイバック。
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千葉真一が俳優引退宣言…NHK生出演中に突然告白

俳優の千葉(68)が7日、NHK「土曜スタジオパーク」にゲストとして生出演し、今年いっぱいで俳優業から身を引くことを明かした。

 千葉は現在、NHK大河ドラマ『風林火山』で
板垣役で出演中。番組内では役柄について話していたが、突然「私事で恐縮ですが」と切り出し「板垣信方を演じて本当にえ尽きまして、板垣信方の死とともに千葉真一を葬り去りたいと思っております」と、俳優業を引退することを告白した。番組中では涙をぬぐう場面もあった。

 理由については「50年やってまいりまして、本当に体力的にももういいだろうと」と説明。ただ、完全な引退ではなく「来年、新しい出発をしたいと思ってます。どうしてもやりたいことがあるもんですから」と、来年以降も何らかの活動は行うようで、詳細については改めて発表する。【2007年当時のスポーツ報知より引用抜粋


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 (´・ω・`)…いやぁ、懐かしい話。今では「JJサニー千葉」という芸名で活躍されていますが、大河『風林火山』放映中だった2007年にはこんなことを言ってたんですね。

 大河『風林火山』は男の脚本だと絶賛し、板垣信方役を熱演した千葉さんですが…この年、俳優引退を宣言しました。

 千葉真一といえば、躍動感と迫力のある剣舞や刀を蜻蛉に構える立ち回りなどアクション技術には国内外から高い評価を得ており『アクションスター』の印象が強いようですが、赤髭には『戦国自衛隊』の伊庭三尉や『柳生一族の陰謀』の柳生十兵衛役の素晴らしい"漢"振りが強く印象に残っています。

 特に『戦国自衛隊』('79 角川映画)には大河『風林火山』で活躍している武田信玄と上杉謙信も登場しています。古い映画ですが、川中島で信玄と壮絶な一騎打ちの末、拳銃で討ち取ってしまう伊庭三尉や、腕時計を見せつけて素敵な笑顔を浮かべ、背後にヘリコプターを迎える上杉謙信(夏八木勲)とか、衝撃的で印象に残るシーンの数多い映画でした。

 興味のある方は是非御覧下さい。冷静で老練の宿将・板垣信方には無い、サニー千葉の別の面での素敵さをきっと、垣間見ることが出来ると想います。


 さて、そんな昔話を踏まえたところで…今週も四年前の大河『風林火山』第二十七回『最強の敵』の感想・解説をしていきます。( =(,,ェ)=)oO( 禁句・需要あるのか?■ありました。 )


 ある意味、大河『風林火山』で一番熱い展開、序盤どころか作品全体的にみて一番手に汗握る山場である第二十七回と第二十八回。これは是非、これから始まる感想に興味をもたれた方もそうじゃない方も映像をご覧頂ければと思います。

 歴代大河はNHKによってほぼ網羅されているDVD、レンタルや購入による視聴をお勧めします。


 いつの年とはいいませんが今年の大河とかはともかく『風林火山』は永久保存版として手元に置ける珠玉の名作、歴史Fanの方や友人にも勧められる太鼓判の鉄板歴史大河、是非お楽しみくださいませ。




■板垣信方(千葉真一)

御館様…戦に負けた者が、
   みを残したままでは…国は治まりませぬ…。


御館様は…変わられたのではなく…

  自らの力をじられなくなられている
                      だけの事…。




 


 …勘助よりも誰よりも。

 …晴信が父・信虎に疎んじられ、陰鬱とした少年時代を歩んでいる時も…その父が甲斐国を連戦に継ぐ連戦で疲弊し、過去から現在に掛けて築きあげてきたものを、未来をも破滅に誘おうとしている現実に苦心していたあの時も。


 常に側に控え、晴信の心身の成長を見守ってきた爺であり、その人格形成に大きな影響を及ぼした人生の師でもあった板垣には、勘助にも…晴信本人にもあとついでに赤髭にも(切腹見えていなかった、晴信に突如たる変化をもたらした者の『正体』を、その鋭い炯眼ではっきりと見抜いていました。


 驕りの心、暗い憤りに見えていた晴信のあの不敵な佇まい、叛逆する者を赦さない非情に凍てついた心は


甲斐武田家を次々に襲う敵襲や叛逆の戦火に連戦連勝を収めつつも、その激しく果ての見えない戦局にいつか、自分自身の力がばなくなる事…その結果『北』することへの極端な恐れと焦り…その恐怖と焦燥を振り切ろうと躍起になっていた、もがいていた姿

だったわけです。


 だからこそ、幾ら捻じ伏せても叛旗を翻す敵対者達に対し『いつか自分が彼らにれる日が来てしまったら…』と思うと恐ろしくなり、内山城の大井貞清や志賀城の笠原清繁(ダンカン)達に『二度と刃向かって来なくなるように』峻烈な沙汰を下したのでしょう。


 非情なまでの処断は、いつか彼らに自分が敗れるかも知れない事への恐怖の裏返しだったわけです。 ( ;・`ω・´)ぉぉ。

 謀略で下しても敵の軍勢は生きている。残党は何度でも叛旗を翻す。…それなら、首だけに屠り倒してしまえば二度と反抗は出来ないから。


 …あの狂気的なまでの所業も、敵の恐怖から逃れたい一心だったとしたら納得がいきます。…前回のラストで晴信が恐れ慄いて由布姫に『負ける事の方が恐ろしい…。』と、当に"恐怖に凍てついた顔"で心情を吐露していたのは、そういうことだったんですね…。 


 …しかし、敗北した佐久郡や伊那郡の諸豪族は、晴信のその非情な処断に屈服するどころか…ますます復讐の刃を研ぎ、領土や家族を奪われた怨念を糧に、信濃守護小笠原長時や村上義清を頼んで落ち延びていったのです。



 晴信により領地を奪われ、村上家を頼った諏訪家の残党達…矢崎十吾郎・平蔵主従や、伊那郡で執拗なほど挙兵を繰り返し、信濃守護小笠原家を頼った高遠頼継などは『戦に負けたものが恨みを抱いたままでは国は治まらない』という言葉が真理である事の良い証左でしょう。

 板垣信方の諫言は、勘助の諫言より深層かつ真相の部分を見事に射抜いていたのですね。




 『御館様の力とは、人をかす力でござる。

其のをもって、人を動かす力でござる…。 

 その様な力を持てるあるじは、他におりませんッ…。
 我らは、得難い主君にお仕えしているのでござる。 
        その…御方に…命を捧げているのでござりまする…



 何とぞ……なにとぞッ…
      …自を、お持ちくださりませ…。



 見据え切れず、掴めきれずにいた自らの心の正鵠を寸分違わず突き得た信方の涙の諫言に、勘助も胸を熱くさせて頷きます。

 …御館様の傳役を終えても、板垣信方は晴信を不撓不屈の忠義を以って、晴信を支えていたのです…。 (´;ω;`) ウッ


『…若…若ッ……。』


 既に傳役を終えた筈の板垣信方より、もはや懐かしい過去のものとなりつつある、かつての晴信の呼称の言葉が漏れます。…男泣きしつつも心を振るわせる様な熱い諫言に、傍らで勘助も想わず眼を潤ませている様子が伺えます。

 かつての人生の師であり、その成長に父信虎以上の影響を与えた、老いた重臣の言葉を噛み締めるように聞いている晴信の顔からは、もはやあの険しさは消え去っているようにも見えましたが…。

    

  88年大河『武田信玄』でも、板垣信方(菅原文太)と甘利虎泰(本郷功次郎)が最後の合戦を前にいい味を出してましたが…今回の二人も深い味わいのある演技を見せてくれます。

 それもその筈、次週予告編にも描かれていましたが、金の蜻蛉の前立てが煌めく鎧兜に身を包み、颯爽と槍を構える板垣信方の雄姿が見られるのももはやあと僅か。

 今回のこの諫言こそが、白髪が目立つ様になった老いたる爺にして、武田家家臣団筆頭格『両職』を務めた重鎮・板垣駿河守信方の最後の御奉公への序曲となっていくのです。

 …兜に煌めく蜻蛉の前立ては、後ろを振り返らず前進する事に全てを賭ける『不退転』の決意。赤き旗に染め抜かれた蜈蚣(むかで)は、戦の守護神摩利支天の遣い。



 蜻蛉と蜈蚣は、前進して敵に立ち向かうことはあっても、後ずさりはけっしてしません。武士の魂がそこにあるがごとく、前進あるのみ。


 …村上義清の居城・葛尾城の南に位置する上田原。如月の寒風吹き荒ぶ上田原、槍衾を抱えて迎え撃つのは北信濃の雄・村上義清(永島敏行)。

 数多の合戦場に勇躍し、武勲を挙げて来た老将の陣羽織の後ろ姿と、剣閃演舞の舞台を駆け抜けてきた往年の老練俳優の後ろ姿が重なり合います。


■甘利虎泰(竜雷太)with甲斐武田家臣団



 けるとは思いませぬ。
  ま…更に多くの兵を、失うことにはなりまする。


他の家臣団が勢いに乗って『村上義清を討つべし!!』と息巻く中でただ一人、何やら憂鬱そうな顔をしているのは、諏訪上原に出張っている板垣信方(サニー千葉)と並んで甲斐武田家家臣団筆頭である『両職』を務める家中随一の猛将・甘利備前守虎泰です。


 『野に放たれた猛牛の如し』と讃えられた勇躍の兵法で多くの武勲を挙げ、先代の武田信虎より『荻原昌勝の跡を継ぎ、甲斐武田家の軍師となるのはそちじゃ』と称賛された虎泰。

 劇的だった武田家総領追放事件から、はや6年。

 家臣団を見渡してみれば、小山田信有(田辺誠一)や真田幸隆(佐々木蔵之介)…そして山本勘助といった智略を良しとする家臣が台頭し、春日源五郎(田中幸太朗)や飯富源四郎(前川泰之)ら次の若手世代も着々と育ちつつあります。

 もはや老境を過ぎた虎泰にも、老臣が権を振るう事は亡国の兆しである事、自分達の時代がもはや終わろうとしている事が痛々と感じられていたことでしょう。


 そして、その自分達甲斐武田家の創成期を担った重臣達になりかわって急速に台頭してきた山本勘助は…心変わりした晴信に自分の信を、寵愛を失ってまで強く諫言しません。

 いつもであれば、したり顔でのうのうと語る『兵法』とやらを謳おうとしません。…此処で甲斐武田家が『れるかも知れない』と言う事がどういうことなのか、あの隻眼の悪鬼には判っていないに違いない。…あの、人の心が無い悪鬼には…。

 …真田や相木市兵衛らと何か裏で策は弄してはいるようだが…所詮、勘助と自分達では背負うモノの重さが違いすぎる。…その想いが、とうとう今回になって口の堰を切って出ました。

 今まで勘助を忌々しい策士としか思っていなかったような辛辣な切り口の言葉しか出なかった甘利虎泰が、鋭い眼光で勘助を睨みつけます。



たわけぇぃッ!! ( ;・`ω・´)
 …おぬしにはけ戦の何たるかもわからぬッ!!

 お主などには、合戦など押すか引くかの駆け引きに
                      過ぎぬやも知れぬが


  
 …そこの真田殿、相木殿に聞いてみるが良い。
  何ゆえ今は、かつてのに仕えておるのか。



 …真田幸隆が何故、領主たる地位を捨てて、生き恥を晒す屈辱をかみ締めて…上州・関東管領、あの頼りない上杉憲政(市川左團次)にすがっていたのか。山伏に身を窶してかつての遺臣達の下を訪ねて廻り、仇敵・村上家に探りを入れていていたのか。

 …何故、相木市兵衛がかつての旧主・大井貞隆(蛍雪治朗)を土壇場で裏切ってその首に刃を突きつけ、唾棄すべき裏切り者に成り下がったのか。



 …彼らには守るべき土地が、部下が、民衆があったからこそです。戦国時代を模したゲームでは、ちょっとプレイヤーや主人公が寝返りを持ちかければ、友情だか義理だかであっけなく所属をかえる戦国武将がいるのは、あくまでゲームだから。

 幸隆や市兵衛の肩には数百人という家臣領民の命が掛かっていますから、戦に勝つこと、負けること、誰を主君に選ぶかは本当に重大な問題なのです。





 二人とも、窮地に追い詰められたときに『自分の意地や誇り』を取ることはそう難しくなかったはずです。かつて武田・村上連合軍に真田城を討滅された際も、真田家の総領として腹を切っていれば幸隆も武田家の下風に付かずに済んだでしょうし、相木も長窪城で大井貞隆と共に詰め腹を切れば忠義の士として武士らしい最後を迎えれたことでしょう。


 しかし、そんな意地では守るべきものは何一つ守れはしないのです。『武士は二君に仕えず』『武士は主君の為に死ぬ』とかいう"安っぽい"武士道がもてはやされたのは平和な江戸時代になってからのこと。

 彼らの双肩には、その選択肢取捨には…一族の興亡が…守るべき者達の命が懸かっているのです。
 早くに肉親を失い、身一つで甲斐武田家に落ちてきた勘助にとって、守るべきものは『御館様』であり『由布姫』であって、戦火の災禍に晒される力の弱い領民達や肉親では無いのです。勘助の守るべき城には、"たった一度の敗北で守りきれない者"はいなかったのです。

あの最愛の人・ミツの亡き後には。




    『よぉく聞いておけ、勘助。 ( ;・`ω・´)

 いくさのけとは、おのれが誰を裏切り、    裏切らぬかではない。きるかぬかでもない。

     何をり、何をうかじゃ。

守るものあらば、如何にしても
             たねばならぬ。
 それがいくさじゃ!!』


 勘助が甲斐武田家に仕えて間もない頃から、その神算鬼謀を奸佞邪知(邪悪な心人にへつらい悪知恵に長けていること)と断じ、その特徴ある深みと重厚さのある怒声で事有る毎に勘助を叱責面罵してきた甘利虎泰。

 これまでは敵対関係だった老虎の瞳に、言い様の無い悲哀の色が浮かびます。

 かつて由布姫に『人の心が無い』と評価せしめた勘助に、『戦場で槍を持ち馬を駆って命懸けの勝負をする颯爽さとは違う、時には"例え犬畜生と誹られようとも"勝たなければ意味が無い』という戦国武将としての悲哀を教えているようです。まるで、これが最初で最後の教えでもあるかのように。

 …暫くの無言。静かな視線を勘助の疵だらけの顔に落とした後、肩をポンと叩いてその場を立ち去る虎泰。


 その静かな瞳にありありと映ってはいましたが、ここで『甲斐武田家を…御館様を頼む。』と声に出して頼まない当り、この古風で飾らない老練の猛将最後の意地が見えた気がします。

 さしもの勘助も、普段は虎狼の様な隻眼に光るものを湛えていましたね。

 …この、乱世のカタルシスを根底に据えた骨太い脚本。やっぱり、大河『風林火山』は良いです。戦国武将達は皆が皆、野卑た欲望の為だけに合戦に出てるわけじゃないんですよ。守るべきものがあるためです。

 かぁカッコイイ( ;・`ω・´)9 o O (これが戦国時代ッスよ。アットホームな雰囲気とか厭戦・平和主義なんざズレまくってて欠伸も出ない。今年の大河?あれはファンタジーです。(断言。)



 しかし、どうしたことか…この無骨で朴訥な采配者である筈の甘利虎泰が、村上義清(永島敏行)に急接近します。しかも、その目的が武田晴信追討、甲斐安泰のためというのですから穏やかではありません。


 …北信濃の雄にして、信濃の総大将と尊称された武勲の士・村上周防守義清の前に出ても悠然と構える虎泰の醒めた瞳には動揺や欺瞞の色が全く見えません。



 その心を推し量りかねた義清が『そなたを信じて良いものか』と懸念しますが、虎泰の舌は冷静沈着。ただ静かに『来年の2月には信じていただきましょう。』と重みのある韻を踏んで、老練された重鎮らしさ、冷静さを失いません。

 眉間に疑惑の皺を刻みつつも頷く義清を前に、果たして甘利備前守の思惑とは…?



 甘利と共に片翼を担う板垣信方は来るべき村上義清との決戦に向けて河原村伝兵衛を密かに諏訪へと遣わして策を敷きつつ、冷静さを失った晴信を直接に諌める手段を取りましたが…軍配者である甘利虎泰は飽くまで無骨で朴訥なままです。

 果たして甘利虎泰は何を守り、何を代償に支払うつもりなのか。次回展開への期待が否応なしに盛り上がります。



■平蔵(佐藤隆太)&葉月(真瀬樹里)
 大河『風林火山』は堅っ苦しい戦国物語一直線、というわけではなく…たまに『( ・(,,ェ)・)?!』と思うような軽妙なジョークを言うときがありました。


 …今も権謀術数渦巻き、余談を許さない緊迫した状況が続く北信濃戦線ですが…そんな息を飲む状況の中でもイイ感じに狂言回しを演じているのが、この平蔵です。

 平蔵は猛将智将、名将の権謀術数神算鬼謀が渦巻くこの物語の中では一枚も二枚も見劣りする実力しかありません。


 密偵としての本性を見破った甘利虎泰が追っ手を派遣すれば呆気なく虜にされてしまいますし、自分で『逃げろ』と声を掛けておいた葉月(真瀬樹里)が、刺客に数多くの増援があることを知って、即座にその場から逃れれば

    『本当にげるらか!! (;゚Д゚)そ

 と驚愕して逃げることすら忘れる始末です。(苦笑 


 ""というものは忍ぶに忍び抜いて目標を達成する事を最も由とする、現実主義者にしか勤まらない職業です。

 あの場で無闇に平蔵を助けようとして勝てない勝負に打って出るほど呑気な理想主義者じゃないというのは視聴者の我々から見れば如何という事も無い次第ですが、あの台詞と豆鉄砲を喰った様な顔をした平蔵を見て噴き出した視聴者の方は多いのではないでしょうか。^^;

 この、『緊迫した中に、表をつく台詞を配して視聴者の調子を一発外しに掛かる』、奇妙な仕掛けを置いてあるのも今年の大河『風林火山』の特徴でしょう。

 温泉で論じ合う勘助に晴信が『ばぁーか!!( ;・`ω・´)』と呆気らかんとした口調でからかったシーン、兄弟そろって黙々とかつ呑気に飯を食う高遠頼継・蓮蓬軒兄弟、『危険な閨に云々!!』と一喝して他の家臣達にたしなめられる諸角虎定。


 やもすれば、本格かつ重厚な戦国物語の雰囲気、空気の流れを粉砕しかねない危険な仕掛けではありますが、何故かすんなりと視聴者の心を和ませるこの不思議な仕掛けもまた、今節の大河の神脚本の魅力の一つと言えるでしょう。



 しかし、次回第二十八回は題名からして、ひょうきんな仕掛けも和みのある場面も出番は無さそうです。甲斐武田家の命運を掛けて、老練歴戦の闘将二人の魂魄と命を賭けた最後の戦いが始まります。



 第二十八回話『両雄の死』の感想更新・ご期待下さい。m9っ ;・`ω・´)



                   ■戦国歴史を真剣にめぐってます。
            武将と城と歴史ロマンの待席。


れきたん

■長宗我部元親ゆかりの旅
  
■明智光秀ゆかりの史跡案内
 
■国宝・姫路城案内


大河『風林火山』 第二十五話 非情の掟 感想

JUGEMテーマ:コラム
■さて、引き続いては07年大河『風林火山』の感想を。
 本年大河とのあまりの温度差で、同時に視聴していると『…──これって、同じ"大河ドラマ"ってジャンルにして良いのかな(汗』とか思ったりしますが、まぁ…視聴率と一般受けって意味ではたぶん大敗の『風林火山』、今週もひっそりと参りましょう。( ・(,,ェ)・)

越後の龍・長尾景虎(Gackt)も噂が高くなり、主要Castの面々が顔をそろえ始めた物語中盤、第二十五回ですが…勘助が『天下人となられる器を持つ御方』と仰ぐ甲斐武田家の総領・武田晴信(市川亀治郎)も奢りが著しくなり、かつて家臣達が『甲斐を滅ぼす』と嘆いた暴君であった先代・武田信虎(仲代達矢)の面影を強く現す様になりました。
 
 …後に乱世へ終止符を打ち、江戸幕府を開いた徳川家康に壊滅的な大敗北を喫しさせた名将・武田信玄も、まだ26歳。戦国の世を酸いも甘いも知り尽くし、武田の戦を知り尽くした家老達の進言にも耳を貸さなくなり、慢心を極める晴信。
 
 この若き甲斐の若虎を阻む敵はまだ多く信濃にひしめいています。晴信の奢りを、その隙を狙うのは北信濃の雄・村上義清(永島敏行)か、はたまた信濃守護・小笠原長時(今井朋彦)か。
 
 それでは、遅い遅い第25話『非情の掟』感想前編をお送りします。暫し皆様の時間を、拝借つかまつるッ。m9っ ;・`ω・´)

■諏訪寅王丸(澁谷武尊)&武田四郎(本川嵐翔)
…主君たるものは、この世で最も小しくなければならぬ事を、儂は知った。…なれど、儂はいまさら生き長らえたとしても、寅王丸に「小賢しくあれ。」とは教えてやれぬ。…教えたくもいッ!!…その事を、そちから寅王丸に教えてやって欲しい。…。』 『…儂のような目には遭わせたくいのじゃ…。…頼む…寅王丸のこと、くれぐれも…む…ッ。』  勘助にそういい残し、諏訪頼重(小日向文世)が甲斐東光寺にて壮絶な切腹を遂げたのは…1542年の7月の事でした(第16話 運命の出会い) 。
 

 勘助に寅王丸の行く末を頼み、禰々を残して死んでいった頼重の言葉を勘助は忘れてしまったのでしょうか。…いえ、忘れてはいないでしょう。…忘れてはいないのでしょうが、故意に見捨てたのでしょう。
 

 勘助は甲斐武田家の、御館様の為にならないと判れば、馬場信春(高橋和也)ですら斬って捨てようとした勘助です。
 
 由布姫が勘助をして『行いに情けというものが無い。おのれの志のみに動いている。』と評価したとおりの、無情極まりない見切りを発動しました。寅王丸が居ては御館様と由布姫のわこ様が諏訪家の総領になれない。それどころか、放置しては諏訪家の為にも武田家の為にもならない。
 
 勘助は、あっさりと寅王丸を僧籍に送り込む事を決定します。  …いや、これは考え方に拠っては、勘助は頼重の頼みを律儀に守りきったのかもしれません。

 …戦国武将という、信義など紙の様に薄い乱世に生きねばならない職業に就いては、諏訪家の総領という地位にあっては…寅王丸は厭でも小賢しく生きていかなければならないでしょう。

 寅王丸の母で、夫頼重の後を追うように死んでいった禰々(桜井幸子)も『兄上の様になって欲しくない』と言い残してこの世を去っていきました。

 小賢しく、姑息なまでに神算鬼謀を張り巡らしていかなければ生きていけない世界…戦国時代は無情の時代です。
 
 頼重から託された寅王丸を、そんな血塗られた戦国武将としての運命から逃れさせるには、仏門に入り御仏の教えにすがる事が最も適切であると判断したのでしょう。
 


 戦国武将の兄弟には必ず一人か二人、僧籍に身を置き俗世から離れた暮らしをしている男児が居るのは、二つの理由があります。
 
 一つは…今回の寅王丸の例の様に、体の良い厄介払い。…兄弟がたくさん居ては、御家騒動の火種となる為事前に仏門に置くか、さも無くば他家への養子として送り込む事でした。寺に入ると俗世とのかかわりを絶ち、僧侶として修行に励まねばならない為、御家騒動などで家督相続権があっても僧籍のままではそこに参加は出来なかったからです。

 …もっとも、戦国武将の場合…花蔵の乱の様に緊急事態の場合などの様にいやでも俗世に戻り実家を救わなければならない場合も多く、その場合はちゃんと仏様に暇乞いをして僧籍を抜け、俗世に戻る儀式を行いました。これを『』(げんぞく)と言います。
 
 ただし、仏門に入り僧籍に入っても『入道』と言って、出家はするけど俗世の事にも関わる事が出来る制度もありました。こういった『入道』となった武将には『〜軒』『〜庵』という号名・通称で呼ばれる事が多かったようです。
 
 風林火山では"高遠のばか兄弟の弟"・蓮蓬軒(木津誠之)や武田信玄の影武者で知られる武田遥軒(たけだしょうようけん 大河には武田孫六信廉(伊藤瑞稀)で登場済み)です。ちなみに武田信玄は徳栄軒上杉謙信は不識庵という号名です。
 

 もう一つの理由は、『血槍を振るい人の命を奪い続ける戦国武将の様なけがれた魂でも、一門に僧籍の者が居ればその者が死後も正しい道へと導いてくれ、極に行ける。』と信じられていたからでした。
 
 信濃国のお隣、美濃国の守護土岐家に仕え、下克上につぐ下克上で戦国大名に成りあがった『美濃の』、織田信長の舅としても知られる斎藤(さいとうどうさん 1494?〜1556)も、謀叛を起こした嫡子・義龍との最後の戦い(長良川の合戦)の前に、末子に向けて遺言書を書き残し『仏門に入るように』と指示しています。
 

■武田晴信(市川亀治郎)With三条夫人(池脇千鶴)
 
 久々の三条夫人の登場です。相変わらず柔らかな物腰と良く澄んだ声、強風美人かくあるべしな麗姿ですが…勘助の登場によりその立場がどんどん悪くなっていくのが解ります(泣。
 
 勘助の武田家仕官前には御館様の寵愛が厚くて閨にも良く呼ばれ、夜の生活(コラもなか睦まじい処を見せてくれたのですが、勘助が来てからは次男龍芳が疱瘡による高熱の末に失明するわ側室にかつて滅亡せしめた諏訪頼重(小日向文世)の娘・由布姫(柴本幸)を紹介されるわ、挙句に御館様の寵愛は由布姫に移るわで散々なコトばかりです。
 
 ここで史実通りの厭なタイプの三条夫人なら、眉間に皺を寄せてがなりたてる処ですが、決してそういった部分を出さずにじぃっと我慢しているのが奥ゆかしくも可愛らしいトコです。そこに惚れたんですよ赤髭は。由布姫は芯が強すぎて凛々しすぎてどうも、ね。(黙れ(ぉ

 …しかし、その理知的で聡明な三条夫人も…さすがに恋敵の由布姫が男児を出産し、諏訪家を継ぐ筈であった寅王丸(澁谷武尊)が晴信の指示で諏訪家家督相続を反故にされ駿河善徳寺の太原雪斎(伊武雅刀)の元へ追放同然に出家させられると聞いては、黙っていられませんでした。
 

 …幾ら連戦につぐ連戦で甲斐武田家の梶を取る総領として多忙を極めているとは言え、わが子で嫡男の太郎(小林廉)には余り関心を示さない御館様が、由布姫の生んだ赤子の進退に関しては自ら進んで信義を反故にし、諏訪家の総領たる道へと導いてやっている。同じ御館様の子なのに、この差は何なのだろう。
 
 頭の良い三条夫人の事ですから、いくら正室として他の奥方衆を束ねる地位と矜持があり無闇な嫉妬は慎んでいるとは言え、御館様の寵愛が既に自分の元から離れつつあるという焦燥感は強く感じている筈です。
 
 太郎の傳役には甲斐源氏の一族であり、甲斐武田家家中における発言力・影響力の強い(飯富虎昌)が任命されていることからも太郎の家督相続は間違いのないところなのですが、御館様の寵愛を失いつつある焦燥からか太郎の母親としての矜持からか、『太郎の家督が安泰であるという御墨付き』をくれる様に晴信に問い詰めてしまいました。…。


  普段の理知的な三条夫人であるならば、晴信が酒に酔っているとは言え自分の器量に過剰な自信を持っていること(『国内の仕置きの事は、誰よりもこの儂が知っておる、ヒック』とか)や、表情の端々、重臣達へ接するに当っての尊大な態度に見られる奢りの予兆を見抜けていた筈です。
 

 そして、その予兆に気づけば聡明な三条夫人の事、太郎の家督問題についての決断の是非を問う機会を別の日に行った事でしょう。しかし、運命の轍は悪いほう、悪いほうへと急展開していくようです。
 
誰が、家督は泰と言うた。

『…誰が家督をぐかなど…まだ決まっておらぬ。』



『家督を譲るも譲らぬも…。     この儂の三寸じゃぁッッ!!!』



 確たる後継者が定まらぬは、亡国の兆し。

 三国志の世界でも、河北(黄河以北、中国華北地方)を治め四代に渡って三公(さんこう。司徒・司空・大尉。当時の中国漢王朝家臣でも筆頭格の重鎮)を輩出した名門・袁家の当主であった本初(えんしょうほんしょ ???〜202)も長男と三男どちらを後継者と定めるか決めかねたまま没し、死後数年のうちに袁家は滅亡してしまいましたし、そもそも日本に戦国時代という血で血を洗う壮絶な闘争の時代をもたらしてしまったのも、室町幕府の頂点たる足利将軍家が後継ぎをしっかりとめれなかったからでした。
 
 そうでなくても、甲斐武田家というのは後継者問題が再三起きていた家系です。

 勘助をして『天下人になる御方』と激賞された晴信ですが、今やその武将としての天賦の才も総領としての器も、その過信と慢心により…先祖の、そして父信虎が直走った同じ過ちの轍を踏んでいる事に気づかぬほど、正邪を見抜けぬ様になっているのでしょうか…。
 

 それでも、戦国時代でも有名な分国法である『甲州度次第』を編纂した駒井政武(高橋一生)の思い切った進言には膝を打って納得するあたりはさすが『甲斐の虎』と後世に讃えられるだけある、度量の広い、壮大な器であることが伺えます。

 しかし、次回はいよいよ若き晴信の一世一代の大事件と数える事も出来る『志賀城防戦』です。
 
 晴信Fanと小山田fanの皆さん、覚悟は宜しいかな?ナレーション通り、まさしく鬼の一面であること間違いありません。m9っ ;・`ω・´)


                  お か あ
 ■今川義元(谷原章介)feat.寿桂尼(藤村志保)さんといっしょ

『…あまり、かの者を用なさいまするな。
 
 …心底、人の為に良かれと思って働くものなどおりません。       皆、おのれの為にして居るに過ぎないのです。
 
 …なにゆえ、儂がそちを好かぬかえてやろう。 そちは、その『おのれ』が、その欲が強過ぎるのじゃ…。

  主への忠節を隠れ蓑にして、それを他人に悟られまいとしておる。 …それを隠す、小賢しさを身につけておる。
 

…それが、そちのさじゃ。



 …相変わらず、冷た過ぎて肌が裂け斬れそうな程に怜悧な、研ぎ澄まされた切れ味の冴えを見せる『海道一の取り』こと今川義元。
 
 勘助の武将としての才能を高く買っており、その如才を評価している、母にして『女戦国大名』・寿桂尼の諫言にも素直に従おうとはしません。その視線は冷やかに、有象無象の区別無く人の心の奥底を見抜いているのではないかと錯覚するような、寒気が走る程の冷たさを見せます。
 
 以前も、『いつか自分の力で、の見える城砦を切り取って見せる…ッ!!』と自信を漲らせ、力強く言い放って見せた武田晴信(市川亀治郎)の横顔を、視線だけは全然笑ってない笑顔で『…この、駿河のではあるまいな…?』と、晴信の心の奥底に潜む野望を透ッ破抜いたのも義元でした。
 
 思えば義元は『花蔵の乱』において、人の…家臣達の我欲我執が兄・今川氏輝(五宝孝一)・彦五郎を死に追いやったのを目の当たりとし、庶兄(側室から生まれた兄弟)の玄広恵探(井川哲也)との血塗られた後継者争いに勝利して、今川家の家督を襲封している屈折したという過去があります。他人の野望の炎、その予感には人一倍敏感に出来ているのでしょう。
 

 …そんな彼には、過去には『最愛の人の仇である武田信虎への復讐』で、今は『思慕の人・御館様と由布姫の子である四郎様を天下人の後継者として育てたい』という我欲に満ち溢れている性根が見え隠れしている勘助など、まさしく『隻眼の悪鬼』としか見えず、信頼するに値しなかったのでしょう。


 政治的な奇麗事での二の句が継げずに居る勘助の眼帯を扇子の柄で弄りながらも、恐ろしいまでに的を得た評価を下す冷徹な義元の横顔は、『甲斐の虎』や『相模の獅子』と渡り合った『海道一の取り』の面目躍如の格好良さ。
 

 かつて、今川家家臣にと熱望する勘助を『余にそのを見て過ごせと申すか!!』と一喝した義元。…今この言葉を聞けば、単に勘助の醜悪な疵だらけの顔と隻眼を忌み嫌ったのではなく、その眼帯の下、疱瘡で失った隻眼の奥底に潜む強過ぎるまでの我欲を見て取っての嫌悪であったのが、良くわかります。
 
 …しかし、この勘助の醜さを見抜いてはいても重用するかしないかについては、寿桂尼の政治的判断に凱歌が上がります。

 前にも色々な面でお話ししましたが、敵国を侵掠・占領・統治するにあたっての『大義名分』という点では、信濃諏訪地区を占拠するに当って『諏訪家先代総領の子である寅王丸を擁する』というのは限りなく統性の高い大義名分なのです。
 

 この『寅王丸を庇護出来る』というのは正しく『奇貨置くべし』の故事に通じる政治的手札です。

 ここは勘助への嫌悪など隠しておいて、したり顔をして預かるのが正解でしょう。
 先代であった夫・今川氏親の晩年からその嫡子・氏輝の若年期に渡って政治の梶を取り、数多の文書を発信して辣腕を振るっていた寿桂尼の政治手腕が、並み大抵のものでは無い事がうかがえる場面。義元もまだまだ尻が青い。
 

 義元の怜悧さや太原雪斎(伊武雅刀)の得体の知れない神算鬼謀に隠れがちですが、この温厚そうな顔をした『女戦国大名』の政治判断も、今後の大河『風林火山』における今川家の趨勢を読む上では重要だと、赤髭は考えてます。
 

 さて。寿桂尼や雪斎と比べられてはまだまだ若いと思える面も否めない今川義元ですが、『人を見る、人の心を読む』と言う点では刮目すべき描写がありました。
 

 …実は、史実に於いてもこの今川義元という戦国武将の『人を見る目』という点は、『戦国の覇者』織田信長や豊臣秀吉、信玄や謙信といった有能な戦国武将達と見比べてみても、勝らずとも劣らない点が実は多くあったりします。
 
 例えば、太原雪斎を重用した事です。雪斎が優秀な僧であり高度な政治判断力を持つ事は、既に花蔵の乱前後から駿河今川家では判明していた事ですが、その雪斎の才能が政治的折衝役だけでなく軍事活動や外交手腕にも秀でたものがある事を見抜き、今川家の『師』『権』とも言われる大役を与えてそれらの面でも活躍出来る場を与えたのは、誰でもない今川義元です。
 

 言わば、義元は『"これだ"と思った人物を重用し、大きな権限や重役を任せる事の出来る、旦那気質的で寛大な量を持った大将』であったとも呼べるのです。

 この器量が持てる戦国武将というのがそうそう居ません。信玄にしても謙信にしても、御家の勢力がかなり広くなった後の時代になっても自分自身が戦場に立って采配を振るう事が多くありました。 

 お互いに家臣達の謀叛に悩まされた身ですし、真の全幅の信頼の置ける家臣、また信頼を置く器量が無かったともとれます。
 

 謙信や信玄ですらこうなのです。…戦国時代には、『戦国武将の懐刀・軍師』と呼ばれる武将は数多くいますが、実際に戦場にまで出て軍兵を指揮し、主君に全幅の信頼を置かれた軍師というのはそれほど多くいなかったりします。
 
 また、そんな智恵と器量のある戦国武将を麾下に迎え、才能を見抜き、全幅の信頼を置き、兵権まで与えて重用出来る大将としての器を持った戦国大名というのも実は稀有な例だと言えます。


 …ちょっとした比較として、他の戦国大名と軍師の関係を見てみると…。
 
豊臣吉と黒田】 秀吉の軍師として活躍したとされる黒田如水ですが、その切れすぎる智謀は秀吉の信頼を得るどころか返って警戒され続け、秀吉存命中はその功績に鑑みても少なすぎる所領でしか報われませんでした。
 
 案の定、黒田如水は1600年、秀吉の死後に起きた天下分け目の大合戦である『関ヶ原の合戦』で、息子の留守を預かっていた豊前中津城において突如軍勢を整え、野望の牙を剥き九州全土を疾駆することになります。
 

 …もっとも、その野望も…『実の息子の大活躍で、関ヶ原の合戦が一日で終わった』という想いも拠らないアクシデントに止めを刺されましたが…。
 

豊臣吉と竹中兵衛
 竹中半兵衛も同様に、軍師という割には一軍を率いて大活躍したという信用の置ける記録はそれほど多くありません。
 
  よく、『物静かで、兵法を張り巡らして秀吉を補佐する名軍師』みたいに書かれている文書がありますが、多くの場合は『甫庵太閤記』など物語性の強い文書による創作であり、実際の半兵衛は『自身の才能を鼻に掛け、言いたいことは言うタイプの典型的な秀才肌の人物』であったらしく、秀吉も信長も重用はしても信頼はしていなかったと伝えられています。
 
 半兵衛の活躍の多くは、合戦場での兵略よりも…勘助の言うところの『兵は道なり』の面、すなわち戦わずして勝つ…敵将調略などが主でした。


武田玄と山本
 …これを言うと元も子も無いですが、勘助の活躍が大々的に記された唯一の歴史的文書である『甲陽軍鑑』にすら『勘助が武田信玄の師であった』だなんて一ッ言も書かれちゃいやしません。歴史的には存在も活躍も否定され気味です。

 もっとも、勘助が戦国の表舞台から退場した後の真田幸隆の重用振り、上野国攻略での扱いは…義元と雪斎の関係に迫るものであり、信玄もそれが出来る器量のある大将であったという点は補説しておくべきでしょうけど。
 

上杉信と宇佐美】 

 上杉謙信の軍師と呼ばれる宇佐美駿河守定満。この人物、実は江戸時代になって急遽『上杉家の軍師』として登場した人物で、その活躍の多くが謎のベールに包まれています。

 …ぶっちゃけた話、宇佐美定満は勘助並みに説に片足突っ込んだ戦国武将と言えます。  

 また、上杉謙信は宇佐美定満以外にもこれといった参謀を持っていたという記録はありません。たいてい、合戦をはじめるときも一方的に家臣へ下知を布告するだけで…いわゆる『ワンマン経営者』だったようです。


 こうして比較してみると、駿河今川家以外の大名家では主君の権限がまず絶大で、かなり離れて家老や参謀が次点、という主従関係ばかりが目立ちます。今川義元のように、主君としての代行に匹敵するような権限を家臣に与えた例がいかに稀有であるかが、皆さんにもおわかり戴けるのではないでしょうか。



 さて、次回…26回の予告編では慢心に猛る晴信の怒声、そして二度目の登場となる長尾景虎(Gackt)の鎧姿がチラと見られましたが…晴信が憤怒の一喝、鬼の一面を出した志賀城の攻防戦の壮絶さ、もちろん『風林火山』では完全再現されています。

 DVDで視聴されているであろうFanの皆様も一見の皆さんも、どうか刮目して御覧あれ。

第二十四話 越後の龍 感想

JUGEMテーマ:コラム

 さて、それでは引き続き…本格歴史硬派の大河『風林火山』、第二十四回『越後の龍』の感想解説をお送りいたします。
 前回『河越夜戦』で劇的に変化した関東情勢、火縄銃の狙撃を受けて倒れた勘助という急展開の一方、武田晴信率いる甲斐武田家では由布姫が待望の男児を出産し、甲斐武田家と信濃諏訪家を橋渡しする新たな命を授かります。

 しかし、その一方では晴信の心に暗く深い因果の芽を植えつけることになる事態が発生、それを煽るように佐久郡では、大井貞清ら反武田家豪族が蜂起。
 かつて甲斐に君臨した暴君・武田信虎の様な闇を心に芽生えさせた晴信は家臣達の宥和進言を退け、強硬路線で敵対するものを皆殺しにすると宣言。順風満帆だった甲斐武田家に不穏な波が起こり始める。…果たして、その小さな波紋がどのような影響を与えるのか。

それでは、御一緒して頂ける皆様の御時間を少々拝借。 。゜+. m9っ;・`ω・´)っ 。+.゜

■武田晴信(市川亀治郎)feat.甲斐武田家臣団
 『御館様は、生来「人の情けこそ大事になさる御方と心得ておりました。…勘助が居なければ、御館様は早くにけていたかもしれません。』

 年長の重鎮達や家臣団に…それどころか、由布姫にまで舐められている。『恨みを捨て、大望を得て自身の新たなる道』を見つけ、精神的に成長した勘助と違い…晴信は『未だ挫折を知らぬ青二才』のまま。屈辱に馴れていない、敗北を経験していない若き虎には、側室や老臣達の評価は癪に障ったようです。

 甲斐の領民・家臣団に重い賦役を課し、人への情けを軽んじたばかりに民衆や家来達からの信頼も家族の愛も失い、果ては国すら失った先代・武田信虎(仲代達矢)を見て成長し、その父の暴虐を由としなかったが晴信の眼が由布姫の言葉を機に、冷酷非常な光が宿り始める。

 しかし、そうして晴信が成長していくに従い、戦国の世に甲斐武田家の総領として数多の合戦に勝利してきた晴信にも、ある種の油断が芽生えていく。…関東管領上杉憲政の惰弱な器にも舞い降りた大敵の顎…そう、慢心です。

 父・信虎もなし得なかった信濃切り取りを成功裏に治め、今川・北条家といった近隣諸国とも殆ど被害を出す事無く鋭敏な外交術で乗り切ったというのに、あの慎重な年寄り達はまだ自分を武田の若殿だと思っている。
 幼少の頃から傳役として補佐してきた板垣信方(千葉真一)はまだ、自分を子供のままの武田太郎だと思っている。果ては、由布姫までが『勘助が居なきゃ今頃負けていた』などと思っている。

『…儂は…左に思われていたのか…。( ;・`ω・´)

『人への情け』はかくも人を軽侮する。
(…仇も敵だが、けも敵だ・・・!!)
 
 情けで敵を味方とする事は出来ない。情けは返って敵に無駄無用な自信を深くさせるばかりだ。強硬な時に柔和であっては、どうにもならない。

 …そんな風に考えたのでしょうか、何やら晴信の立居振舞いが、かつて恐怖で甲斐国を支配した先代・信虎のそれに酷似していきます。教来石景政に『ようしたー…。』と賛辞の言葉をかけた声音までもが。
 内山城を囲む軍議で『敵将・大井貞清に腹を切らせれば、この戦は終わる。』と遠まわしに降伏勧告、敵将切腹の和議をと進めた甘利虎泰(竜雷太)に発した重厚な一言。

ぁ甘利ぃ。…また、残党をかすのか?

板垣、小山田信有といった先代を知る宿将ですら降伏勧告を押す中でも、晴信は頑迷なまでに力攻めを敢行。

いかに謀略よって敵を下しても…生き残った者が居れば、謀叛の手は跡を絶たぬ…。…一人もかしてはならんッ!!!

 いくら甲斐の虎とあっても『挫折を知らない青二才』の晴信。自信を深め慢心に奢れば知恵の鏡は曇り、人の心も見えなくなり、孫子の兵法も用を為さなくなる。

 おそらくこの悲劇が、これから待ち受ける多くの悲劇へと繋がっていくのでしょう…。

■真田幸隆(佐々木蔵之介)
 『関東軍勢百万あれど、男は一人も居ない!!』と大阪夏の陣で気勢を吐き、平成の現代になっても圧倒的人気を誇る不撓不屈の名将・真田幸村。

 その祖父である真田幸隆が長らくの亡命生活から、領主の座に返り咲きました。いつまでもうだつが上がらない関東管領上杉家を見限って怨敵である甲斐武田家を頼った途端に城付領主へと大抜擢、不惜身命の六連銭軍旗を伴っての入城です。

 この後、信濃先方衆(しなのさきかたしゅう)の筆頭として勘助に負けず劣らずの大活躍をしていく幸隆ですが、どちらかというと智謀策略に優れ老獪な戦国武将というイメージのある彼を、若くて甘いマスクの佐々木蔵之介さんがはつらつと演じていますが…

 これが実に新鮮で良い。( ・(,,ェ)・)b!!

 赤髭は典型的な保守派戦国歴史Fanなので、イメージとかけ離れた武将像を演じられるとたいてい嫌悪感を持つのですが、佐々木さんの真田幸隆にはすんなりと感情移入が出来ました。親族の反対を押し切り、忍芽()や晃運字伝(冷泉公裕)の支援を受けて力強く真田家を復興させていく若き総領。その心模様が豊かな表情やそれを物語る視線に出ています。人気俳優さんやジャがつくどこかの男前集団には無い演技力の深さ。

 確かに視聴率はだいじかも知れませんが、由緒と歴史のある戦国大河ドラマ、こういった実力派俳優さんをしっかり取り揃えて欲しいものです。今年の大河は…――大地康雄さんも居なくなっちゃったし、来週からは誰を基点にして視聴すればよいのやら…。( =(,,ェ)=)

■長尾景虎(Gackt)
 あと一話で折り返し地点の二十五回、満を持してのGackt登場。
今回は真田幸隆の語る越後情勢の上だけでの登場、軽い触り程度ですが…――燃え盛る炎が赤く照らす障子に映る影法師、火の粉を従えての登場シーンは圧巻。

 中性的な美貌を古誂えの鎧具足で着飾り、強い意志を秘めた視線で一点を睨む表情はとても大河初出演とは思えない迫力でした。
 当事は『仮にも守護代長尾家の武将が最前線切って、刀片手に暴れまわるって無いだろ( =(,,ェ)=)』とか思ったりもしましたが、常識では考えられない行動を取る不思議ちゃん毘沙門天な景虎のこと、別段ありえない描写でもありませんし…何よりも、そのビジュアルと存在感が凄い(汗。

 私の中では上杉謙信と言えば夏八木勲か柴田恭平なのですが、Gacktもそれに食い込める位置には来そうです。四年振りに再評価することになる俳優としての顔、今後の展開に期待したいところ。


歴史痛の眼。要するに薀蓄のひけらかしとも言う。

 さて、第二十三回の最後に福島彦十郎(崎本大海)により銃撃され、生死の境を彷徨った勘助ですが、肩口に食い込んだ鉛弾を切開して抉り出し充分な治療を施したのは真田幸隆と、その真田一家が逗留する上野国長源時の僧侶・晃運字伝(冷泉公裕)でした。  

  ここで幸隆は、銃創を癒す手段として山伏時代に知り得た知識…『勘助に葦毛の馬汁を飲ませる』という荒業に撃って出ました。(苦笑  現代の我々からすると『…いったいどういう理論で効能があるんだ?』と想われるかも知れませんが…1467年の応仁の乱より百年余り続いた戦国乱世、星の数ほど戦傷者は出ただろうに…実は矢疵や刀疵、鉄砲傷といったいわゆる『金創』と呼ばれる多くの傷の治療や療養術というのは、思ったより発達してはいなかったようです。


 当時の合戦場における足軽(雑兵)達の心構えやノウハウを口語体での実践形式で記録した書物『雑兵物語』 (ぞうひょうものがたり)によると、この葦毛馬の馬糞というのは止血の特効薬であったと信じられていたようです。
例えば…。

【Q1.が止まらない!!】
《A1》m9っ ;・`ω・´) 合戦場で怪我をしたら、先ずやるのは止血だべさ。血が流れてるのをほっといて傷口をほったらかしにしとくと命を落とすだぞ。有効な方法はというとじゃな…。

1)先ず傷口を縛って止血する。傷口の消毒は焼酎があれば最適なんだが、合戦場じゃなかなか簡単には手にはいらんじゃろな。塩を持っているならば塩を、それがなければ人糞を傷口にすり込み、固く縛っておくといいべ。

2)(にかわ。兎や牛とかの皮を煮込むと動物性たんぱく質が煮出て来て、これを上手く使えば接着剤になる。)があるなら、それを紙に塗って傷口に貼るのもいいべさ。

■他にも、雑兵の間で信じられていた民間療法での治療には『もぐらを黒焼きにして臼で引いた粉』『杉の葉を乾燥させた粉』、『卵白』、とんでもないものとしては『女性の陰毛を焼いた灰を油でこねたもの』などがありました。当然ですが、こんなものを傷口に塗っても消毒や治療にはなりません。下手をすると破傷風で死亡してしまうことも考えられました。

3)止血の特効薬と言えば葦毛馬の
これを飲むのが一番だべさ。けど、そんなもん侍大将にでもならにゃ手にはいらねえだに、わしら雑兵は馬のが手軽だべ。馬糞を水に溶かして飲むと良く効くけんども、水がいよいよ手に入らねえ時は食べてしまうのがいいべさ。


■葦毛(蘆毛)というのは、白色を基本に黒や茶色が混ざった体毛を持つ馬のことです。馬は、古代神話では神の骸から五穀と共に生まれたとされ、古代から信仰の対象でした。そんな馬の霊力にあやかり、死の戦場を生き抜こうとした雑兵達の必死懸命な考えです。

【Q2.が刺さった!!】

《A2》m9っ ;・`ω・´) 矢が刺さったら抜くのが先ず一番だべ。
 んだども、眼に刺さった矢はいきなり抜いちゃなんねえど。頭を木とか石とか動かねモンさに押し付けて、ゆーくりゆーっくりさ抜くだ。釘抜きがあれば一番なんだけどもな。

 …合戦場じゃ弓矢疵を喰らう確率が一番大きいだに、胴丸や具足さ着込む時はちゃんとその下に硬めにサラシを巻いとけよ。布一枚噛んだだけでも、鏃の抜き易さは全然違ってくるもんだべ。


■戦国時代で、合戦場において最も多い死因は『弓矢によるもの』で、全体の六割〜七割強という圧倒的なものでした。
 大河ドラマでは、矢傷を受けたといえば『功名が辻』の山内一豊が顔面に矢を受けたシーンが印象深いところですが、史実では一豊が矢を受けたのは『頬』でした。安全な場所に避難した後、家臣にその矢を抜いて貰うときに『顔面を踏まれながら』豪快に引き抜かれています。

 また、武田家で弓矢といえば『武田のゆる鏃』(たけだのゆるやじり)。

 甲斐武田家では、雑兵が放つ弓の根(鏃)は、篦(矢の柄)へゆるく巻きつける習慣がありました。鏃をわざと緩く巻きつけることによって、敵に突き刺さった際に引き抜かれても鏃だけが敵の体内に残り、傷口を腐らせ敵を死に至らしめる狙いがありました。

 『武田のゆる鏃』を受けた者が破傷風になり、転がりまわって狂死する様は甲斐武田家の恐ろしさを知らしめるのに抜群な宣伝にもなりました。後にこの習慣は、武田家の軍法を継承した徳川家康によって禁じられます。

【Q3.刀が出来た、ジンジンして痛い!!】

《A3》m9っ ;・`ω・´) あぐらをかいて座るといいべさ。
 あと、大将から銅の陣笠が貰えたなら、それをひっくりかえして鉢にして、そこに便を溜めとくだに。

で、疵が痛み出したらそれを温めて飲めば良くんだべさ。この小便は傷口を洗ったりにも使うから、無駄遣いはしちゃいけねえべ。



 ちなみに、傷口を酒で綺麗に消毒して、膏薬を塗って、傷口を縫って布キレで覆っておくとかいうキチンとした戦傷処置は戦国時代の終わり頃から安土桃山時代にかけてに完成されたそうです。

 『島津』と恐れられ、戦国最強の薩摩隼人を率いて朝鮮征伐や関ヶ原合戦で大活躍した島津(しまづよしひろ)などは、外科的治療の名医でもあり、部下の武将や足軽達が怪我を負うと診察の上治療を施してやったとの記録が残っています。

 なお、甲斐武田家独自の治療としては泉治療が知られています。

 甲斐国内には『武田玄の隠し湯』と呼ばれた温泉が幾つか存在し、湯村・川浦・下部などの温泉郷には信玄が麾下の将兵が傷を癒すために湯治を奨励したと伝わっているほかに、が良く効くとして合戦場までもぐさを持っていくことを奨励していました。

 お灸は戦場での打撲や切り傷の他、頭痛や肩こり・神経痛にまで効果があり、甲斐武田軍では特に『兜や陣笠をかぶったまま、頭の天辺にもぐさを積み上げてお灸を据える』という風変わりなお灸法が最も効果的とされていました。

 このお灸の方法は特に『信玄と呼ばれ、忙しい戦場でも手軽に出来るため軍内で流行したそうです。

 …しかし、命懸けの戦場で敵の大将首を求めて走り、傷を負えば馬糞やら何やらで眉を顰めるような治療法で生き延び、ゆっくり癒すひまもなく生傷を温泉に当て、頭にもぐさを載せて御灸療法。

 …――戦国武将をやるのも、楽じゃありませんね。( =(,,ェ)=)


大河『風林火山』第二十三話 河越夜戦 感想

JUGEMテーマ:コラム

■さて、それでは引き続いて07年大河『風林火山』の第二十三回…実に三週間にも渡って、長々しい歴史痛観点の与太話で前置きをした珠玉の銘エピソード『河越夜戦』の感想と解説をお届けいたします。



 …今更こんな事を云うのも何ですが、実は当ブログの自堕落管理人こと赤髭は、そんなに甲斐武田家については特別きではなかったりします。(ドカ━(゚∀゚)━ン!!)


 子供の頃から『武田信玄・上杉謙信どっちが好きか』と言われればやはり上杉謙信でした。…領土欲も無く、義理と秩序を守るために合戦場に躍動する毘沙門天の化身、信濃国を不等に侵掠する甲斐の虎に謙信景光を振りかざして戦う、不屈不撓の正義の味方…ってワケじゃあない事っては皮肉にも歳を喰ってわかりましたが、何せ子供の頃から謙信好きでした。
 

 話の種になる、本棚に並んだ歴史に関する書籍を点検してみても、戦国大名に特化した書籍と言えば『上杉』『越後上杉家』に特化した書類が目立ちます。
 
 それもみんな1980年〜90年代に刊行された様な古い資料ばっかりなんですよね…。資料が古すぎるってのも難点です。


 例えば、武将の生没年や姓名の移り変わり。この当時だと、上杉あたりの知名度が今ひとつな戦国武将は、どの書籍みても『生年不詳』って事になってるんですよ。あと、上杉憲政はある時を境に『憲当』って名前に改名してる筈なんですが、それも良くわからないままですし…。(´・ω・`)
 
 最近は研究が進んだのか、あまり有名ではない武将の生没年まで判っているようで、偶にそういった書籍でそういうのを見ると、我ながら資料の古さ加減に泣かされます。…そういう類の書籍って大概、値段を見たらもっと泣かされますが。(ぉ


 武将の生没年月日に詳細と云えばWikiなんですが、実はあれはあまり当てに出来ません。…どこのどいつだ、光栄があてずっぽうに決めた生年をそのまんまWikiに持っていったやつは。'`,、('∀`)'`,、

 
(註】戦国おたくの聖典こと『信長の野望シリーズの武将FILE』なんですが、実はここ最近『実は生没年不詳なんだけど、ゲーム上設定しておかないと不都合だから、当に決めておいた生没年』を武将FILEに載せてあったりします。それを見た誰かがWIKIにそれを書き込んだものだから、主にマイナーな戦国武将の生没年の信憑性が著しく希薄になってたりするのです。参考する場合は要注意。)


 てなわけで、少しでもここを御覧になっている方々に歴史痛的な琴線に触れた与太話を提供できれば、と思い本屋で色々と武田家に関する書類を漁ってきたのですが、やはり時の流れと歴年の研究の成果というのは素晴らしいようで、色々と判ってきたことが多くあるようです。
 

 先ず目を引いたのは戦国武将の諱(いみな、本名の事)に置ける研鑽でした。いやぁ、此処で語ってたことが如何に古臭いことであったかが良く判ったので…いやぁ、お恥ずかしい限りです。(*ノ・ω・`)

 また、その辺のネタも回を裂いてお送りしていきたいと思っておりますので、どうぞご期待下さいませ。( ;・`ω・´)



 ・・・それでは、たぶん大河ドラマを話題に取り扱っているどこのブログよりも遅く、タイミング間違いであろう第二十三回『河越夜戦』の感想、今宵も歴史痛的解釈を加えた与太話をもって展開していこうと思います。


 しからば、皆様のお時間を暫し拝借仕る。…いざっ m9っ ;・`ω・´)



■山本勘助(内野聖陽)&真田幸隆(佐々木蔵之介)
  山本勘助が歴史上での活躍確証が不明瞭なのを逆手に取った脚本が光ります。勘助は甲斐武田家ではまだ重鎮中の重鎮、国と領土を守らなければいけない城主家老級の身重な身分では無いので、実績がはっきりわかっていない時季なら何処へでも出向けます。

 これは織田信長や武田信玄、上杉謙信といった一国一城の主たる大大名には少し真似のできない魅力です。
 

 当初、勘助が『河越夜戦』に参加するなんて何故なんだろう、とか考えていましたが、成る程成る程。

 勘助が甲斐武田家への帰参を仲立ちし、武田信玄の後半生で重要な役割を果たすことになる甲信越地方屈指の智謀の士・真田幸隆を迎えに行く為だったのですね。


 …山内上杉家と関東管領家の威信の凋落、それに伴う関東三国志の一角であった『相模の獅子』こと北条氏康(松井誠)の雄飛の陰に、この流浪の武将が古き権力の落日を噛み締めて鑑み、新時代の旗手になろうとしている甲斐武田家への怨みを捨て新たな可能性に賭ける事を決断させるには、この戦国三大夜戦の一角を誇り、新時代を切り開く開拓者が劇的な大勝利を挙げた『河越夜戦』を目の当たりにすることがうってつけだったのでしょう。
 

 勘助も勘助で、闇夜の戦場を明々と照らす篝火、いかめしい当世具足の鎧武者達や槍衾の下を駆け抜けていく時の表情がとても野性的かつ愉しそうで、あのぎらついた眼で口を半開きにさせる笑顔は…かつて世界に冠たる侍役であった故・三船敏郎さんを髣髴とさせるものがありました。
 

 今まで幾度と無く内野さんの表情の妙は語り連ねてきた事ですが、何かを閃いた時の嬉しそうな顔や、策が的中したときの得意げな顔が台詞以上に感情表出を物語っているようですし、何よりこの表情の豊かさが隻眼・跛行というハンデキャップを全く感じさせない、躍動的で才気溢れる戦国武将役を良く現していると思います。  


 真田幸隆も、勘助に以前真田荘で出会った時にには、見られなかった…甲斐武田家で夢を…仕えるべき主君を得て、水を得た魚の様な充実振りを見せていた様を見て、『ひょっとしたら、甲斐武田家に一命を賭してみる価値があるかも』と踏みきったのだと思えます。
 

 88年大河『武田信玄』では、橋爪功さんが"飄々とした佇まいの中に、深い智略と冴え渡る謀計詭計を数多備えた、一筋縄ではいかない智将振り"を味わい深く演じていましたが、今回の『真田荘の領民・遺臣達を想い、復帰に全力を注ぐ苦難の流浪人』という難しい役割の真田幸隆も、興味深い妙を見せてくれます。
 

 一応幸隆は武田晴信より8歳年長の筈で、88年大河『武田信玄』では信玄より経験豊富で重厚な戦国武将ぶりを魅せてくれましたが、今回は佐々木さんが、若々しい戦国武将役を好演しています。  

 今回、甲斐武田家に着くことで長年の悲願であったはず旧領復帰を一部ながら回復し、かつての旧臣達と再会して胸を熱くしていた幸隆ですが…勝ち戦に奢り、重臣達の諫言に徐々に耳を貸さなくなり、自分を甘く見る老臣達を軽んじる素振りも見せる若き大将・晴信をこれから見舞うであろう激戦続きの信濃戦線において、勘助も期待以上の結果を出し、刮目せずにはいられないような大活躍をしていく事になるのです。


 次週以降は、武田譜代の重臣達以外にも、彼にも着目が必要でしょう。  後の世に不惜身命の六文銭の軍旗を翻し、天下餅を掻っ攫った古狸・徳川家康を二度に渡って翻弄し、死をも覚悟させた信濃真田一族の勃興の歴史はは、この幸隆より始まるのです。

■上杉憲政(市川左團次)with長野業正(小市慢太郎)
 はい、今後の武田信玄と上杉謙信、そして北条氏康の対決の構図を作ることになる『歴史の影のキーパーソン』関東管領上杉憲政の登場ですが…。もぉなんだか如何しようも無い馬鹿殿様っぷりです。
 
 勝利の女神の微笑みと勝機の移り変わりは立て板を流れる水の如し。その兵法と運気と天機を賭けて、命の遣り取りをする『合戦』が始まる前から終わる前から既に勝った後の事を考えてるとか…忍者は木を昇るとか、賢明な歴戦の名将・長野業正の忠言を


…儂をっておるのは、そちではないか? m9っ ;・`ω・´)

 などと嫌味を言う始末。
 
 生涯を賭けて山内上杉家を奉戴し、西上野箕輪城を甲斐武田家・相模北条家の侵掠から守り続けた無双の忠臣・長野業正もこの見事な迄の馬鹿殿ぶりに『…浅なッ…。』と、愚痴っているより他に術がありません。
 

 関東管領・上杉憲政の名誉の為にも言っておきますが、この憲政も一筋縄ではいかないなかなかの武将なのです。
 
 幼少時に父・憲房を失い、関東管領の地位と山内上杉家総領の地位を上杉憲寛(うえすぎのりひろ)に家中を牛耳られますが、長じると憲寛を武力で追放し総領位を奪回しています。
 
 決してお飾りのお殿様では無かったのでしょうけれど、何せ味方は総勢八万超という大軍勢です。…しかも、一説に拠れば河越城を包囲する憲政の元には、関東諸侯の悉くが結集したとも言われており…まさに目も眩むような圧倒的優勢。
 

 …こんな状況で『慢心するな』『油断をするな』と言うのが無理というものでしょう。戦場までび女(あそびめ)を招いて傍らに侍らせ、遊興に耽りたくもなるのも同情の余地はあります。

 …まこと、慢心とはろしいものです。

 管領殿の慢心は止まりません。関東管領上杉家の家紋『竹に二羽飛雀』のが染め抜かれた濃紺の御旗が翻れば、振りかざすのは名家のプライド。関東管領上杉家は観修寺流藤原家の末裔です。…何処のものかも素性がわからない北条氏康を徹底的に侮りまくります。


 『…北条では無い、伊勢じゃ。元は伊勢のあぶれ者がかつての執権北条家の末裔を名乗るとは、虫唾が走る!!』 …いや、今はそんなトコにこだわってる場合じゃな

『こだわるじゃあぁッ!!!(#゚Д゚)』

 …。…ダメだ、このおっさん。(ぉ 
 
 そして敵軍若き大将、『相模の獅子』こと北条氏康が乾坤一擲、一撃必殺の夜討ちを敢行する為に…自嘲して憚らない通り、『臆病』なまでに張り巡らせた煙幕。

 古河公方家への偽りの和睦要請の書状を見て、『氏康がこれほどの恥知らずの、臆病者とはな…。』と自信満々に大笑する姿は…わざわざ勘助に「良く見えるもの」と指摘されなくても『戦に負ける者の気配』が十二分に醸し出されまくってます。


 これで河越合戦に勝ったら嘘でしょう。


 
 …ほーら、案の定たった一晩で木端微塵に討ち破られてしまいました。本間江州(長江英和)の忠義、鬼気迫る勢いで突撃してくる北条家から危機一髪の処で主君を救った長野業正の機転が無ければ、憲政もここで命を失っていた事でしょう。
 

 …しかし、この歴史的大敗で、ただでさえ霞み掛けていた古河公方の権威、関東管領上杉家の武勲も威名も全て、一欠片の残滓を残す事無く壊滅の憂き目を見ました。


 …戦後、関東管領を見限って甲斐武田家へ帰属する決心をつけた真田幸隆を義兄の河原隆正(河西健司)がその怒気露わに詰りますが、長野業正だけは山内上杉家の衰退が避けられない事を見抜いていました。
 

 以降、関東の趨勢は二本の杉を喰いちぎった相模の獅子の勇躍の足音が木霊することになります…。

上州の黄斑の意地は、何処まで獅子の咆哮を食い止めることが出来るのでしょうか…。


 

歴史痛の眼。要するに薀蓄のひけらかしとも言う。

 今回の歴史痛的注目ポイントは上杉憲政が

ではない…じゃぁ。…元は伊勢のあぶれ者、伊豆相模を掠め取った盗人じゃあ。その伊勢があつかましくもかつての執権北条の姓を名乗るとは、虫唾が走るわ!!』と長野業正を一喝した一言です。
 

 関東管領上杉憲政は、家臣の長野業正や倉賀野直行(大門正明)達が『北条。』と言う度に

『…長野、何遍言うたらわかるのじゃ…北条ではない、伊勢じゃ。』

 …と何度も言い直させていました。
 


 命の遣り取りでの勝利をものにせずになにを小さいことをグダグダ言っているのか…関東管領の器の小ささを如実に物語る場面ですが…



 実は、歴史上でも今回の憲政のような仕様も無い意地の突っ張りにしか思えない…姓の言い換えを何度も何度も繰り返したであろう人物が、大河『風林火山』の他の主要人物にも人か居ます。



  …誰だ、そんなくだらない事を言う連中は(;゚Д゚)って?


 …何のことはないです。





長尾景虎(Gackt)。今回はOPのみの登場。(画像は長尾景虎写真集『龍の化身』)





 …武田上杉北条です。
 

 …実は、今回上杉憲政が二言目には『北条じゃない、伊勢じゃ。』とこだわりまくっていたのには単なる名家の意地以外に、列記とした理由があります。


…『敵対する武将の正統性の』です。
 


 今川家の客将であった伊勢(いせそうずい 1456〜1519 人呼んで北条早雲享年が88歳という戦国史上稀有の長寿であったという説は、近年になって否定されつつあります。)が今川家の御家騒動を上手く収拾し、駿東郡興国寺城を与えられ、そこを基盤に伊豆・相模二ヶ国を勝ち取った経緯は以前にお話しした通りですが…。


 この伊勢家が、鎌倉幕府の執権・北条家の姓を名乗るようになるのは、伊勢宗端の子であり、大河『風林火山』序盤でも登場した北条氏綱(品川徹)の代になってからなのです。

 つまり、北条早雲は生きている間、北条姓を名乗ったことはありません。


  しかし、なんで氏綱は伊勢氏を捨て、遥か二百年以上も前に滅びさった執権北条家の姓を名乗ったのでしょう。一説に拠ると氏綱は鎌倉に在住していた執権北条家の末裔である後家の娘を側室に迎えて、由緒ある北条家の姓を名乗ったとされていますが…南関東に親子二代で確固たる基盤を築いた名将である氏綱のこと、それには当然理由がありました。
 


 …執権北条家は桓武平氏の血流を受け継ぐ名門であり、源氏将軍が三代・実朝の代で滅亡後、執権として鎌倉幕府における武家政治の頂点に立った家系です。
 

 かつては関東は勿論の事、京都に六波羅探題・九州には鎮西探題を置き日本全土を支配した武門の頭領たる家柄でしたが、1333年の鎌倉幕府滅亡後は時の流れに埋もれ、歴史から忘れ去られていた一族となっていました。


 …しかし、そんな没落名門であっても二つと無い勲章を持っています。  そう、関東地方を統治するための大義名分です。

 昔は関東どころか日本全土を支配した執権北条家の末裔なのですから、関東地方の諸豪族に対して合戦を起こすときにそのネームバリューは絶大です。

 
 何せ、合戦を起こすときにいちいち必要な大義名分に困りません。こう宣言すれば全て事が済むのですから。
 
『我が北条家はかつて鎌倉に君臨し関東十カ国を支配した執権北条家の末だ。再び関東にを唱えるべく、宣戦を布告する。』



 当時の関東を修めていた関東管領も古河公方も、もとをただせばすべて室町幕府の家臣です。
 
 足利尊氏率いる室町幕府は、執権北条家の末裔にしてみれば『鎌倉幕府に謀叛を起こして成立した建武新政府と同じ穴のムジナ、関東を不法に支配している人』です。


 執権北条家の末裔ならば、古河公方や関東管領家と戦うのに立派に大義名分が立つのです。


 …ですから、古河公方と関東管領としては、伊勢家が執権北条家の末裔をなのり関東制覇を宣言する事を、『…うん、俺達盗人だしなー。』とか言って、受容するわけにはいきません。



 認めてしまっては、相模北条家の軍事活動や伊豆・相模・武蔵などの占領を認め…自分達は悪党になってしまいますから。
 




 そんな、旧鎌倉政権の大義名分を受容しないにはどうしたら良いか。
 
 …はい、そうです。…憲政と一緒に、こう言えばいいんです。
 


『北条家ではない、伊勢家だ。…あいつらこそ、執権北条家の末裔と勝手に騙って関東を不法に占拠している人だ。』




  ・・・とまぁ、こんな感じでお互いの大義名分を否定し『自分達こそ正義の為に合戦を起こし、その土地の正当な権利者である』と宣言することは、自家の威信を煌めかせる為にも絶対に必要だったのです。
 

 後に紆余曲折あって関東管領を名乗る事になる上杉も相模北条家を指して貫徹して(1568〜1571年の越相同盟中は兎に角)相模北条家を『伊勢家、関東の』と罵り続けましたし、北条氏康は氏康で上杉謙信を生涯『越後の守護の長尾家』と嘲罵し続けました。

 北条氏康は後に、古河公方家を継いだ甥の足利(あしかがよしうじ)を半ば操り人形とし、自らを関東管領に任させます。


 
上杉謙信はこの古河公方・足利義氏を『あれは伊勢家が勝手に古河公方を僭称させたに過ぎない偽者だ!!』と否定し、義氏の異母兄であり関東各地を放浪していた足利(あしかがふじうじ)を推戴し『藤氏様こそ古河公方であり、その藤氏様に認められた関東公方である我が上杉家こそ真の関東公方であるッ!! m9っ ;・`ω・´)』と突っぱねました。
 


 関東管領に謙信が就任すると困るのは、甲斐武田家も一緒です。


 信濃国を火の如く侵掠し続ければ、城や土地を奪われた信濃の諸豪族は上杉謙信を頼り、頼られた謙信は『無法な侵を繰り返す甲斐武田家を征伐すべく、宣を布告する。』と川中島に出兵する大義名分の錦の御旗となります。
 

 ですから、信玄も終生…家臣達の前では上杉謙信の事を『越後の守護代の尾家』と呼び続け、謙信が関東管領であることを生涯否定し続けたのです。


( ;・`ω・´) …一見すると幼稚にも思える無駄な片意地を張り通すのも、また戦国武将として必要な矜持なんですね。

大河『風林火山』第二十二話 三国激突 感想

□様々な苦境を乗り越え諏訪に戻った由布姫に、晴信の子が出来たことが判明し…これで甲斐武田と信濃諏訪が平和裏に結ばれる勘助は歓喜するが…戦国の激動は再び甲斐・駿河・相模の情勢を揺り動かす。

 花倉の乱以降、本拠地の駿河に北条家占領地を許していた今川家が動き、同盟相手の武田家を誘って駿河河東地方への共同戦線を提案。勝っても負けても実入りがない不毛な援軍要請に家臣たちは難色を示すが、勘助はこの事態に対し甲斐駿河相模の一和、三カ国同盟を立案。

 そんなことが出来るわけがない!!と吼える武田家家臣達。しかし晴信は勘助の眼、神算鬼謀の叡智に可能性を見出し、駿河説得に当たらせる。今川義元は相変わらず勘助を毛嫌いするが、関東で苦戦している北条家、駿河を安定させて西部戦線に集中したい今川家の利害を巧みに説き伏せた勘助の饒舌は功を奏し、ここに三国同盟成立のめどがたった。

 そして、かつて勘助も知己を得た北条氏康に危機が訪れた。勘助は甲斐を立ち、相模北条家に向かう…。


■山本勘助(内野聖陽)&武田晴信(市川亀治郎)
 もうすっかり御馴染みになった大河『風林火山』の顔にして名コンビ・甲斐武田家の軍師と主君ですが…同じ『頭領と参謀』の組み合わせでありながら、今川家の義元と雪斎主従とは少し違った信頼関係になっていることが浮き彫りになっていた回です。




 以前は僧体の衣装のまま、もしくは還俗したてでまだ何処か頼りなかった『海道一の弓取り』今川義元ですが、いまやその眼光は鋭くなり、智略鋭敏な総領としての貫禄を十二分に蓄えた戦国武将として再登場。谷原章介さんの、いかにも"性格酷薄な秀才肌"の若総領ぶりは本当に名演技です。

 それでも、まだまだ実力は不十分なのか…参謀であり家庭教師でもあった雪斎に対しては深く信頼し、母親の寿桂尼にも果断に踏み込めないあたり、自身だけの器量発揮が弱い感じが否めませんでした。



 雪斎も雪斎で、北条家討伐に熱を上げており諫言を聞かない義元がどうすれば北条家との合戦を諦めるかが良くわかっていました。言ってみれば、義元は雪斎を信頼し頼みとしていますが、その雪斎に心内まで上手く読まれてしまっているのです。

 まぁ凡庸凡百の総領なら最後までそれに気づかない処ですが、そこは海道一の弓取り、勘助との交渉中に『これは雪斎が仕掛けたな。』と気づき雪斎を賞賛してはいますが。



 織田信長や武田信玄は『家臣達に心の奥底を見抜かれているようでは、器量の良い大将とは言えない。良い大将とは、常に他人の手を読んで行動するものだ。』という言葉を残しています。



 晴信も勘助や小山田信有(田辺誠一)の智謀を信頼してはいますが、鵜呑みにしているのではなく、列記とした自分の手の内の考えを持っており、またその考えを家臣達に漏らさないようにしています。

 今回の大河『風林火山』では甲斐武田家の軍師としての山本勘助の活躍と野望がクローズアップされてはいますが、名参謀を主役にした物語ではありがちなケースである『参謀を信じ、どこまでもその意見に沿う大将』に収まらない武田信玄像も魅力のひとつ。勘助の策略にただのうのうと従っているわけではない、一筋縄ではいかない大将ぶりを発揮しているのも、大きな見所です。


 板垣信方(サニー千葉)が勘助を伴って北条家との和睦交渉にあたる際に『姫様を恋慕しているのではあるまいな』と釘を刺すシーンがありましたが、思い起こしてみると勘助が由布姫に抱く慕情の存在については、もう随分前から晴信は見抜いています。だからこそ、貝の如く心を閉ざした由布姫への交渉役に勘助を選んだのです。


 以前にも勘助が由布姫の側室婚姻の交渉時に『勘助になら、を開いても良い』と言ってきた由布姫の言葉を晴信に伝えあぐねて『…姫様は何も言うてはおりませんでした。』と嘘の報告をしたことがありましたが、晴信は『そんな事では、勘助を甲斐武田家の師には出来ない。』と呟いたことがありましたが…あれは勘助が由布姫に想う恋慕があること、また隠し事をしていることをすんなりと見抜いていたからこそだったのでしょう。


 異形鬼謀の軍師・山本勘助と甲斐の虎・武田晴信の主従関係は強い信頼の絆で結ばれている様にも見えますが、晴信は甲斐武田家を統率する主君としての矜持はしっかりと備えている様です。雪斎に全幅の信頼を置き、合戦まで任せていたという今川義元の信頼とは少し意趣を異なります。



 事実、晴信は武田家の総領として成長していくにあたって傅役であった板垣信方や『猛る野牛の如く』と賞賛された卓越した合戦指揮官である甘利虎泰、そして(まぁ諸説ありますがここは流れに乗って。)山本勘助といった優秀な補佐役・軍師に恵まれましたが、彼らが戦国時代の表舞台から立ち去った後も甲斐武田家の根幹は揺らぎませんでしたし、甲斐武田家の勢力拡大はむしろその信玄の死後、武田勝頼の時代に最盛期を迎えます。

 しかし、太原雪斎の死後に今川家に残ったのは、幼少の頃から家庭教師として武家としての軍略智略を教わり、成年後も全幅の信頼を置いていた軍師に先立たれた今川義元と、器量は備わっているものの歳老いた女戦国大名・寿桂尼(藤村志保)だけでした。



 そして雪斎没後の6年後には、義元は戦国時代の表舞台から急遽消え去る事になり、後継者として立った今川氏真(いまがわうじざね)は駿河国と駿河の海を甲斐武田家に明け渡す事になるのです。( ;・`ω・´)

■村上義清(永島敏行)
 前回、単身小笠原家居城・信濃林城に乗り込み小笠原長時(今井朋彦)を説得、甲斐武田家の信濃侵掠対抗戦線に巻き込むことに成功した義清。



 ですが、あれだけ頭を下げて湿気た縄に火を燈したのに、その小笠原家と伊那豪族連合は合戦描写もなく、あっさりとナレーションだけで粉砕されてしまいました。
 張り巡らした謀略の箍があっさり破砕された村上義清、さぞ落胆しているかと思いきや、呑気に焼き鮎をかッ喰らいながらせせら笑っています。

 それもそうでしょう、伊那地方で粘り強く抗戦を続ける高遠頼継や藤沢頼親ら豪族勢と、その彼らと連合する小笠原家が伊那地方の地盤を甲斐武田家に奪われた事で村上家は得はしていても損はしていません。

 ただの一兵も喪わずに、信濃守護職・小笠原家の勢力を減衰させることが出来たからです。

 巧妙なり村上義清、前回の策はどっちに転んでも村上家には得に成る目しか出ない、勝ちの固まった賭けだったワケです。

小笠原長時、さぞかしを抜かしたであろう。( ゚Д゚)ノ魚     …いずれ、この村上にきついてくること明白じゃ!!

 骨だけになった川魚の櫛を放り投げる義清。

 …その不敵な眼光の奥には、甲斐武田家と、晴信との戦いでの勝利を見据えている様にも思えました。

 大河『風林火山』では、三条夫人を心優しく器量を備えた京美人としたり、武田晴信を悩めるハムレットにしたてたりと従来のイメージに挑戦するようなキャラクター付けをしていますが、この義清の策略家・縦横家としての怜悧な面の描写も非常に斬新な、そして重要な点だと思ってます。

  猪武者じゃない義清って、あんまり記憶にないですし…88年大河『武田信玄』では上條恒彦さんの男臭さは最高でしたが、知略はからっきしでしたので(苦笑。

 義清、頑張れ。頑張って信長の野望での低智謀評価を覆して(ry 



■さて、いよいよ次回は相模の獅子・北条氏康一世一代の見せ場である『河越戦』。この時代ではありえない規模の敵軍に勢力圏を包囲された北条氏康は、いかなる作戦で未曾有の大勝利を収めたのか、はたして勘助はそれにどのようなアシストをもたらしたのか?



 もちろん、大河『風林火山』ではがっつりと端折られていた『河越夜戦』に至るまでの経緯…歴史的事情も、歴史痛的観点でたっぷりと説明していきたいと思います。乞う御期待。(;ノ゚Д゚)ノ<大呂敷>゛

大河『風林火山』第二十一話 消えた姫 感想

■さて、本年大河『江』では終に序盤の山場『本能寺の変』が終わり、豊川悦司さん演じる織田信長が歴史の表舞台から退場となりましたが…――私の視聴感性はやっぱり、大河『風林火山』を無意識にえこひいきしてるんでしょうか…

 何というか、戦国時代の無常であるとか荒々しい切羽詰った、息を呑むような展開だと認識できないまま45分間が経過してしまったような気分でした。神君伊賀越え…泉州堺に居た徳川家康御一向が本拠地の三河・遠江へ撤退していく逃避行に江が混じっている、というのも後々の複線なのでしょうが、野党に襲われても馬上でまごまごする江姫からは生命の危機感がさっぱり感じられません。

 というかあの時点でまだ十歳なんですよ江姫は。( =(,,ェ)=)

 とか何とか、歴史痛がぼやいてはみても…視聴率がすべてのTV業界、江姫のそれと風林火山のそれを比較すれば、優劣がどちらにあるかは火を見るよりも明らかなわけで…。

大河『江』

第一回 2011年01月09日 湖国の姫 21.7%
第二回 2011年01月16日 父の仇 22.1%
第三回 2011年01月23日 信長の秘密 22.6%
第四回 2011年01月30日 本能寺へ 21.5%
第五回 2011年02月06日 本能寺の変 22.0%


2007年大河『風林火山』

第1回 1月7日 隻眼の男 21.0%
第2回 1月14日 さらば故郷 20.0%
第3回 1月21日 摩利支天の妻 19.8%
第4回 1月28日 復讐の鬼 21.9%
第5回 2月4日 駿河大乱 22.9%

…――をやぁ?( ・(,,ェ)・)

もっと歴然とした大差なのかと思いきや、じぃっと見比べてみるとわりかし接戦ですね。もっとも、『風林火山』の最高視聴率は22.9%、『江』の方は話が佳境に入ればそれを優々こすであろうことは想像に難くありませんが…――必勝の布陣ながら、わりかし振るっていないのではないでしょうか、江。

 NHK様。今からでも、本格歴史派・重厚路線に舵切ってみてはいかがでしょうかか(汗。

■とまぁ、そんな世迷言をこぼしたところで更新の御案内。 今週は大河『風林火山』第二十一話・第二十二話の感想を立て続けにUpいたします。

□第二十一話『消えた姫』
井上靖原作『風林火山』にもあった、由布姫失踪事件を下敷きに作られた回。晴信をめぐる正室と側室、女と女の息詰まる様な駆け引きと微妙な心模様の違いは三条夫人が勧めた甘酒の杯を巡って急激に揺れ動いていく。

 冷たく悲しい火花を散らすおんなの戦いに危惧を覚えた勘助は由布姫を一度甲府から諏訪へ戻すことを考えるが…――なんと、その移送のさなかに由布姫が消える。様々な、いやむしろ最悪の可能性が勘助の脳裏をよぎる。果たして姫は無事なのか。

 そして、由布姫が勘助を前に漏らした意外な言葉とは・・・。



■山本勘助(内野聖陽)&由布姫(柴本幸)  今回は井上靖原作『風林火山』ではもっと後に語られる事になる、由布姫失踪事件が基になっていますが…やや時代懸かった節回しや、何処かこころが不安定で言葉足らず、かつ我意の強い原作の由布姫の複雑な描写を、もう拍手するしか無い様な見事な脚色で表現しています。そしてそのストーリー展開を内野さんの確かな演技力が強く裏打ちしています。



 大河ドラマは歴史漫なんですよ!!ットコ前系大根役者の出る幕は要りません。この際断言しましょう、うん。最近の俳優さんの事なんか、殆ど知りませんが。(爆

 涙を零しながら…愛しさと憎しみが激しく交差し揺れ動く感情を持て余し、いっそ殺して欲しいと嘆願する由布姫。

 その由布姫失踪を受けて情動失禁状態に陥り、半狂乱状態で風雪の舞う闇夜を疾駆する隻眼の悪鬼。今となっては歴史考証の間違いや難解な箇所も多い井上靖原作『風林火山』を現代風に演出し直しつつも、その原作が描き出す描写は決して軽んじられてはいません。



 (輿の中にいるものと思っていた由布姫の姿が無く、替わりに姫の衣装を纏い、口を割らぬ為に自害して果てた侍女のマキ(おおたにまいこ)の姿を隻眼に捉えた瞬間、勘助は当に死にもの狂いに姫を探し回る。)

女人は居らんかッ!!女人が宿を求めてはおらんかッ!!…匿しだてをすれば、一家まとめてにするぞ!!( ;・`д@´)』(大河『風林火山』)

 …戸口戸口で勘助は呶鳴った。どの家でも雨戸を開けた者は恐怖で顔を引きつらせた。(中略)それでなくてさえ異相の勘助である。その憑かれたような顔は一種言うべからざる殺気を帯びていた。(井上靖原作『風林火山』)

(雪の振る山中を、爬行を髪を振り乱して走る勘助。疲れ果て、雪の積もった笹藪に倒れ伏す勘助。何処からか聞こえてくる悲しげな笛の音に、由布姫の面影を想い、呟く勘助。)

『…姫様…さぞお寂しいことでしょう…。…わかりました…勘助が、姫様のために…この、命を捨てまする…。』(大河『風林火山』)

 もう城取りも合戦もなかった。(中略)あるものは、ただ恐怖と絶望だけであった。あの美しい姫君がこの世から消えて失くなってしまったとしたら、恐らく自分はもう生きる力を喪ってしまうだろうという思いであった。勘助は、初めていかに自分が美しい由布姫に執着するかを知った。

 姫、姫さま!

 勘助にとって、由布姫は晴信同様彼の夢であった。この世に於ける、勘助の唯一つの、美しい壮大な夢であった。晴信も必要であったが、由布姫もそれに劣らず必要であった。どちらが欠けても彼の夢は成立しなかったのである。
(井上靖原作『風林火山』)

 …どうでしょうか。勘助が姫を求めて必死の形相で疾走している情景、原作の描写を重ね合わせると、見事に一致しているのがわかります。( ;・`ω・´)

 そして二人は再会した後に…初めてその心内の全てを打ち明け合います。



 由布姫にかつて愛した摩利支天の娘の面影を見、姫を愛している事を痛感し、一緒に行こう告白する勘助。

 そして、由布姫には”父を討ち諏訪家を滅ぼした晴信を『諏訪家の姫君として、父の仇として』憎もうとするけれど、その仇敵を愛してしまった挙句その心の全てを捉われてしまった事”、”その優しい腕に身を任せようとしても『諏訪家の姫』である矜持が、『仇敵』である事がそれを赦せない事が、晴信の正室は三条夫人であり、側室に過ぎない自分には、その愛しい怨敵の愛を独占出来ないジレンマ”が、これも柴本さんの感情豊かな演技で見事に表現されています。

 戦に勝利をもたらす摩利支天の偶像は、勘助への揺ぎ無い信頼とともに再び由布姫の元に戻りました。そして晴信を天下人たる地位へと導くという勘助の夢は、由布姫の幸せへと見事に連鎖していきます。次回は風雲急を告げる動乱が予告されていますが…勘助の武田家軍師たる活躍、そして由布姫や晴信をめぐる複雑な人間関係は今後はどう移り変わっていくのか。

本格描写の秀逸な大河『風林火山』ですが、心理戦描写も要チェックです。


 

■諸角虎定(加藤武)feat.甘利虎泰(竜雷太)
 そんなこんなで再び強い絆を取り戻した勘助と由布姫ですが、晴信正室・三条夫人とはどうにもこうにも関係が修復されません。

 …そして、由布姫が三条夫人(池脇千鶴)に、半ば憤りを篭めて訴えた、悲痛な心中吐露を…『無礼』と受けたのは何も萩乃(浅田美代子)だけでは無かったようです。

…今まで勘助の神算鬼謀を讃えて止まなかった甲斐武田家の重鎮達、そのなかでも最長老の虎定が鬼気迫る剣幕で怒鳴り散らす一幕が見られました。




 諸角虎定は”天文年間(1532年〜1554年)に諏訪家から甲斐武田家にやって来て武田信虎に仕官し、優れた兵法と忠勇を発揮し侍大将となった”とも、”信虎の祖父・武田信(たけだのぶまさ 1447〜1505)の末子で、諸角姓を称して諸角(むろずみまさきよ)、のちに信虎の寵愛を受けての一字を拝領し虎定と名乗った”とも伝えられている、未だに出生に多くの謎を秘めている戦国武将の一人です。

 出生年も、誰が父親なのかもはっきりとわかっていないとされる虎定ですが…一説には1561年(永禄四年)に、とある合戦で命を落としたときには既に81歳を数えていたともされる、歴戦の老将でもありました。

 この説を採るならば、往年の名優・加藤武さん演じる虎定は第21回、1543年時点で既に還暦を越している老武将という事になります。当時の戦国武将達の感覚では、槍働きの第一線から引いて主君の傍らに侍っていて自然とも言える、老境の年齢です。


 …もっとも、赤髭は加藤武さん見ていると…どーにも等々力警部のイメージが頭から抜けません。(苦笑)


 …加藤さんは黒澤明監督『乱』や『用心棒』など映画史に残る名作映画や歴史大河に数多く参加してきた叩き上げの実力派俳優さんであり、諸角虎定の出生とも大いにオーバーラップする面も多々ある、まさに”燻しの名優”さんなのですが、大河『風林火山』での虎定は『そんな危険な娘を閨に云々』とか、『そちに御館様のお子を宿すことまでは出来まいてッ!!』など、どこかズレている…見ようによってはコミカルな点が二・三、見られます(汗。

 今回の勘助叱責の場面も、信繁(嘉島典俊)に『体に毒ぞ』と窘められており迫力っていうかご老人の冷や水というか。等々力警部のノリが見え隠れして、その。( ;・`ω・´)

 …赤髭は、見ていて次の瞬間の尼がッ!!! ヽ(;゚Д゚)ノとか言い出しゃしないかとハラハラしてました。(マテ

何ゆえそう言えるッ!!?…たのかッ。…いたのか?…ん!?…勘助ッ

 …まるで取調室の一シーンですよ。(汗 ん!?の発音とか特に。


 そして、今まで勘助擁護に傾いていた他の重臣達が失策を犯した隻眼の悪鬼を叱責しているのを背中で聞いていた虎泰も、表情一つ崩さぬままに、今が勝機と勘助叩きに動きます。

 …由布姫が子を宿せば、その子が将来には甲斐武田家の後者争いにすら加担しかねない。

…冷徹なまでに真理を突いた一言に、『兵は詭道』と懸河の弁を駆使していた勘助を完全に沈黙させてしまいました。…こうなってしまっては、軍師といえども形無しです…。


 苦し紛れに『私が、お護りいたします…。』と呻くように呟くしかない勘助に、虎泰の猛り狂う牛の如しと称賛された用兵術そのままの怒声が浴びせられます。けたたましい叱責が容赦なく空間を引き裂く。…当に、虎泰の勝利の勝鬨です。



どぁあれをじゃあぁ!!(#゚Д゚)9そ

 …軍師になって早々に、先輩達の弁舌の剣閃に苛まれる勘助。

 どうにもこうにも…孫子の兵法といえども…何とかと秋の空、上司の心の裏奥底には通じないようです。

…次回以降から合戦続きとなる展開、ここは勘助の一発逆転の策がありうるのでしょうか。(´・ω・`)


■村上義清(永島敏行)With小笠原長時(今井朋彦)
 さぁ、いよいよ前回放送より登場した信濃戦線に於ける晴信最大の宿敵・村上義清の本格始動です。



 矢崎十吾郎(岡森諦)・平蔵(佐藤隆太)ら諏訪家残党や大井・望月家遺臣達の心を掌握した前回の威風堂々たる立居振る舞いから一転、今回は信濃守護職・小笠原長時の面前に平伏している場面からの登場。前回登場時にあれだけ自信に満ち溢れた啖呵を切ったはずの義清なのに、いきなり力本願でしょうか?( ;・`ω・´)そ


 いえ…これは当然、武田家の信濃追討を企む為の複線、今後への布石でしょう。

 村上義清は諏訪・大井・望月家ら滅亡諸家の亡命者や遺臣達を抱えており、甲斐武田家の侵掠に対する大義名分はあるものの、北部戦線では高梨家と剣戟を交えており信濃小笠原家とも勢力圏を隣り合わせている関係上、甲斐武田家の領する諏訪・伊那地方攻略だけに血道を上げているわけにもいきません。

 ですが、ここで室町幕府公認の信濃国長官である信濃守護職・小笠原家を上手く抱き込めば、村上家の力が強く及ばない南信濃地区…伊那の高遠家残党や松尾小笠原家、藤沢家といった諸豪族達とも団結し、一緒に甲斐武田家追討に動く事が出来ます。

 守護職の威信、鎌倉の時代より続く名跡・小笠原家総領を自認する小笠原長時のプライドを巧みにくすぐっておくことも忘れません。
 村上義清は『小笠原長時に協力しろ。と要請している』わけでも、『甲斐武田家討伐軍に加わってくれるよう泣きついている』わけでもありません。



 『信濃守護職・小笠原家が幾代にも渡って争った仇敵である諏訪家をあっさりと滅亡させ、甲斐武田家は調子に乗っている。…室町幕府より小笠原家が任された信濃国に無法な侵掠をする甲斐武田家を撃つ為に立ち上がられるならば、村上家は喜んでその片翼を担いましょう!!』と、信濃守護職位を誇る小笠原家のプライドを慎重かつ巧妙に煽っているのです。
 
 この交渉劇は村上義清一流の智略の布石が随所に散りばめられた見事な策略と見れるわけです。村上義清といえば、勇猛果敢な面ばかりが強調される武将ですが…知略も抜群な描写というのは新鮮です。さすが武田信玄にとって真の意味での好敵手。

 我が意を得たりと扇を撃ち鳴らし、僅かに腰を上げた長時の満足げな笑みと、見え見えのお追従言葉でそれを盛り上げる太鼓持ちの重臣達。
 甲斐武田家撃つべしと沸き返っているであろう謁見の間を退き、薄暗闇の廊下板を踏み締める義清の言葉がその深い意味合いを語っている様な気がしました。

 
『…湿ったをつけるのは、骨がおれるわい。( ;・`ω・´)



 …で。その戦国武将らしい、表裏比興の智略を駆使する老獪な義清と好対照を成すのが小笠原長時ですが…何ていうんでしょうか、高遠頼継(上杉祥三)とはまた違った意趣を醸し出す小者感が何とも言えません。(苦笑

 名家を鼻に掛けたい御家の安っぽいプライド、見かけは良いが中身が伴って無さそうな浅墓な雰囲気はまさに…なんだかとっても小笠原長時です。(暴言、
 義清の言動を掣肘する怒声にも、何処か威厳は漂ってはいますが、肝心の重みがさっぱりありません。

村上ィ!! おぬしは守護を愚するか、許さぬぞッ!!  (#゚゛д゚)ボルァ!!』



 生き馬の目を抜く戦国時代、守護大名家の威信なんていうものだけで国を治める事が出来ないのは…信濃のお隣である美濃土岐家の凋落や尾張斯波家の醜態を見れば火を見るより明らかだと言うのに、それを教訓するどころかまだあぐらをかいているという雰囲気が強く感じられます。

 その虚ろな自尊心を義清の下手なお世辞めいた弄言に踊らされた挙句、義清の描く信濃統一戦線の総大将的地位を引き受ける事の威厳と名誉に、あっさりと腰を浮かせてしまいました。
 なんなんでしょう、この見事なまでの斜陽貴族ぶり。(;゚Д゚)


 ですが、このうわべは厳粛だけど質実が伴ってないような危うい雰囲気、長時らしくて良い感じです。(ぉ

私のイメージとしては小笠原長時と言うと、小笠原流の弓馬術を収めた強面で、武力を頼みとする自信過剰な猪武者って感じで居ましたが、こういう雰囲気の長時も好印象です。というか、風林火山視聴以降はこの長時がmyスタンダードになりました(苦笑。


 最後に、余談となりますが…『風林火山紀行』が紹介する史跡のナレーションが、まだ作品中では滅んでいない勢力の末路をネタバレさせるのはこれが二度目です。自信満々の長時を登場させといて、その居城・信濃深志城の経緯歴史をさらっと話すってのはどうかと思うんですが…。(;゚Д゚)


■それでは、チャンネルはそのままで…引き続き第二十二回の感想を御案内いたします。( ・(,,ェ)・)


大河『風林火山』第二十話 軍師誕生  感想

JUGEMテーマ:エンターテイメント

■先日、何気なしにテレビをOnにしたら『ウチくる!?』(フジテレビ/バラエティ番組)の再放送が放映されており、それが偶然にも市川亀治郎さんが出演した回のものでした。

 大河『風林火山』を終えたあとも俳優生活と人気振りは上々のようで…亀治郎さんと同じ女形としての美貌で有名な梅沢富美男さんや、柳家家禄さんといった格上の芸能人さんと同席しても臆する様子がなく、まったくの自然体。

 二千枚を越すという所蔵数でも有名な趣味の浮世絵についても、『今は2000枚を全部処分した、っていうことにしてます。だって、あの事を言ってからずぅーっと浮世絵の仕事しか来なくなった。』と話せば、同席した出演者から「実際は持ってるんですよね?」と確認をされて…それに平然と『もちろん』。

 なるほど、あの武田晴信役で見せた『人を食ったようなつかみ難い性格』があまりに堂に入っていたのは、地の性格だったんですねえ(暴言。

 また、千年の大河『龍馬伝』では坂本龍馬暗殺犯とされる京都見廻組の今井信郎役で最終回に出演。近江屋でのシーンでは暗殺犯の気分・役になりきるために、十五分以上に渡った坂本龍馬・中岡慎太郎の会話をじっと物陰で聞き続けていたそうです。

 大河『風林火山』が面白くなるわけです。主役の内野聖陽さんは山本勘助になり切り過ぎてクランクアップ語にリハビリをしたといいますし、準主役の市川亀治郎さんはこの通りの役者馬鹿(褒め言葉)。

 本年大河『江』の主人公・江姫役の上野樹里さんも演技への情熱と素の性格に関しては方々から高評価を得ているようですが…はたしてどうなることやら。

■と、いうところで…今夜も大河『風林火山』第二十話の感想・解説です。




■甘利虎泰(竜雷太)
 とうとう、虎泰にとって最もあって欲しくない人事辞令が出てしまいました。

 思えば虎泰は先の武田信虎追放劇に当って、『甲斐武田家の為なら已む無し。』と半ば一致団結していた他の重鎮達と違い、信虎追放を渋っていた感がありました。


 晴信を恐れ憎み疎んじる信虎から坊主の袈裟の原理で一緒に疎まれていた板垣信方(サニー千葉)と違い、虎泰は軍配の面では信虎に信用されていました。

 甲斐武田家の年寄衆の中でも軍配者として信頼された荻原昌勝死後、空位となっていた甲斐武田家軍師の地位を信虎に命ぜられた虎泰も、時代の晴信の代になると途端に発言力が軽くなった感が否めません。

…何もかも、あの山本勘助のせいです。

 兵は詭道だなんだの、経験が伴わない…まさに机上の空論を振りかざす勘助の舌先三寸が、数多の戦場を命懸けで駆け抜けた歴戦の古武者である自分の言より信頼が置かれていない。


 栄えある武田家家臣団筆頭の証である『両職』の片翼を自認する虎泰には本当に絶えられない事でしょう。

 隻眼の悪鬼の戯言に踊らされる御館様の目を覚まさせようと、由布姫の排除に半ば命懸けで動いても、晴信の勘助偏重は変わりません。


 …挙句の果てに、晴信は目の前で勘助に武田家軍師の地位を授く大宣言をうっちゃらかしてしまいました。『こんな筈では無かったのに。』と言いたげな苦虫噛み殺した様な老武将の苦渋の表情が、歓喜極まっている勘助の表情と両極端を為します。

 そもそも、今回の長窪城攻めの戦功武勲の上げ方までが好対照でした。…敵中作敵、しかも武田軍の侵攻を手薬煉引いて待ち受ける大井貞隆(蛍雪次朗)のすぐ傍らに味方を作り上げ、殆どを血を見る事無くあっさりと城を陥落させた勘助と、燃え盛る紅蓮の炎、剣戟と阿鼻叫喚のさなかで敵を叩き斬って城を陥落させた虎泰。



 かつて信虎は晴信の才を恐れるあまり、その器量を受け入れられず返って忌み嫌い、その果てに甲斐国より放逐される結果に終わりました。

 はてさて、甲斐武田家の『軍師』の座を巡って…無敗の甲斐騎馬軍団を率いる軍配者としての新旧対決は、このあとどうなってゆくのでしょうか?


■村上義清(永島敏行)With楽巌寺雅方(諏訪太朗)

 落城の悲劇を迎えた長窪城から必死の想いで逃げ延びてきた矢崎十吾郎・平蔵主従を迎えた、心身ともに疲労しきった傷心の望月家残党達。感動の再開に顔を綻ばせる皆の前に、楽巌寺雅方を露払いに、登場したのは"次の大物"村上義清。

 …平伏する望月家の残党を鋭い炯眼で睨みつけます。…まるで、望月・大井軍がどのようにして惨敗を晒したのかを見透かすような鋭い眼です。…そして。



『…こンのうつけ者めが!!   あたら多くの惜しい者達をなせおってッ!!! (#"・`ヮ・´)9゛


 …"あー駄目だ、今度の村上義清も…器量の小さい田舎大名で…タダのやられメカなのか…晴信の好敵手たる人格に描かれてないやー"…と顔を顰めた、その瞬間。


 『…しかしィ、よぉ生き残った!! ( ;・`ー・´)bそ

   (;´・o・ノ)ノそ オオォゥッ!!?
 
…そなたらの無念、この村上がかったッ!!
  …いずれ、大井・望月・諏訪の地を、そなたらに返してやろう!! 

 …この村上、誓って   そなたらの願いを、しくはせぬぞ!!!
( ;・`ー・´)bそ


 …何て熱すぎる迄に熱血な村上義清だろう…やばい、赤髭の中のMyベスト村上義清=上條恒彦さん像が一でぐらつきました(ぉぃ


 …やばぃ、あんまりの熱さ加減に惚れそうだッ…。これで髭が濃かったら文句なかったのに(ぉ


 この鬼気迫る表情、闘争心を燃え盛らせた佇まいが黒光りする当世具足、○に上文字の前立てに金色の鍬形を備えた煌びやかな兜に身を包んで、『晴信はどこじゃああぁぁ!!!勝負したらんかいぃぃぃ(#"・`ヮ・´)9』って地獄の咆哮あげながら上田原を疾走するんですよね?……うっゎぁてぇぇー!!! …すんげーてぇええぇぇ!!!


 …失礼、また取りしました。(コラ



 一方、その熱血硬派を突っ走って虚空を引ん睨む義清の傍らには楽巌寺(がくがんじまさかた 1509?〜1587?)が髭ッ面の仏頂面で構えています。




 楽巌寺家は村上家の親族である屋代家(やしろけ)の一門衆で、楽巌寺城(布引城の別名)を所領としたことから楽巌寺姓を名乗ったとされる一族の出身です。


 雅方は信濃布下館を居館とした・布下(ぬのしたまさとも ????〜1575?)や、同じく信濃屋代城を居城とした屋代(やしろまさくに ????〜1582?)らと共に村上義清の麾下で甲斐武田家の信濃侵掠に抗戦した信濃国人衆の一人で、元は楽巌寺の僧侶であったが親兄弟の討死を受けて還俗し楽巌寺入道と称した剛毅な武人であったと伝えられる戦国武将の一人です。


 ですが…処々の史料と霞んだ記憶の奥底(ぇ を整理していたら、この時期の信濃布引城の城主は楽巌寺雅方ではなく楽巌寺(がくがんじみつうじ 1507?〜1549)であるという話も出てきました。

 この楽巌寺光氏という人物は村上義清の家臣の中でも重鎮中の重鎮で、周辺処豪族との外交折衝に辣腕を振るったほか戦場でも華々しい武勲を上げた名将です。



 とある合戦の折りには山本勘助の策略すら見破ったといい、当に『村上義清の』と呼ぶに相応しい智謀の将であったとされているそうなのです。


 ひょっとしたら、この楽巌寺雅方が実はこの光氏その人であり、山本勘助と戦場で鎬を削る人物になる…のかも、と放映当時は思ったものでしたが…実は、この楽巌寺雅方がまともに映るのは今回が最初で最後だったりします。この人も後々は、武田晴信と縁がある人物になるのに…もったいない。。




 他にも色々と語る余地のある人物はあるのですが(特に他所様ではファンクラブまで設立されていた小山田信有なんか、当ページではまだ一度もスポットライトがあたって無かったりします。(汗、今日は武田家の軍師・村上家の軍師と話が来たところで、軍師繋がりということで、とある噂について与太話を一つ展開しておきたいと思います。



 武田信玄の軍師は言わずと知れた山本勘助、今川義元には太原雪斎、村上義清には楽巌寺光氏(雅方?)と、今回の大河『風林火山』には、個性的かつ魅力的な参謀役…『軍師』に多くのスポットライトが当っているわけですが、ここで気になってくるのが『上杉謙信…Gackt様の軍師ってなの?( ;・`ω・´)ねぇ誰誰?誰なの?』って事になってくるわけです。



 歴史上の上杉謙信というのは…またおいおい紙面を割いてお話ししていきたいと思うのですが、実は鼎任發覆ぅ錺鵐泪鷏弍勅圓任△辰燭箸い説があり、実際多くの合戦で陣頭指揮を采ってきた謙信には確たる軍配者…『軍師』らしき配下部将が居らず、戦場での作戦や指揮はたいてい自分ひとりで決めてきた、という説が有力だったりします。



 ですが、一応そんな謙信にも『軍師』とされている人物がいなかったわけでもありません。越後琵琶島城の城主を務め『越後流軍学の祖』と呼ばれた歴戦の老将・宇佐美(うさみさだみつ ????〜1564)その人です。

 しかし、この定満も実は山本勘助とタメを張るくらい経歴と実在が疑われている、半分『伝説の人』だったりします。

 何せ、この宇佐美定満が『越後流軍学の元祖!!』と謳われだしたのは実に1649年(慶安4年)の事でした。

 戦国武将達が、合戦での立身出世と己の夢を掛けた最後の晴れ舞台であった、正真正銘に"最後の大戦"こと元和(げんなえんぶ。大坂夏の陣/冬の陣の事。)が終わって30年以上後の事なのです。

 いくら何でも、出てくる時代が遅過ぎますよね。

 この定満の曾孫を名乗る兵学者・大関(おおぜきさすけ)が紀州藩の殿様・紀伊頼宣に軍学者として召抱えられた時に越後流軍楽学の祖であると名前が出るまで、まるっきり世に出ていなかった人物なのです。

 ちなみに左助は、晩年になって主君の命令で『宇佐美』という名に改名します。…(;´・ω・)アレ?


 …勘助の存在が『甲陽軍鑑』という書籍の中だけで大活躍する軍師である事と同様に、定満の存在も際めて信憑性が薄い事が一目瞭然だったりします。伝説の軍師、っていう肩書きは何も勘助だけの専売特許じゃなかったんですよこれが。(;´・ω・)



 …しかし、そんな定満も今まで何度か大河ドラマ上で描かれてきた信玄・謙信の対決劇には度々顔を出しているようです。

 演じた俳優陣を見てみると…'88年大河『武田信玄』では沼崎悠さん、そして'69年大河『天と地と』では宇野重吉さん、'90年の角川映画『天と地と』では渡瀬恒彦さんと、錚々たる顔ぶれが並んでいます。


 で、今年の大河『風林火山』ですが…甲斐武田家の軍師・山本勘助にスポットが当っているのなら、当然陰陽相照らす関係としてこの宇佐美定満も重要な役割があるんじゃないかなと考えるわけです。井上靖原作『風林火山』では殆ど端役程度の扱いしかうけていませんが…。

 当時は本放送が始まっても重要キャストが伏せられていた大河『風林火山』。一度は、あの寺尾聡さんが配役か?!などと、噂も数々取り沙汰もされましたが…結局は、今は亡きあの名優・緒方拳さんがキャスティングされることになりました。



■こうして思い直してみると、本当に渋い豪華出演陣営を誇った大河『風林火山』。こういう本格的な歴史大河に、果たして本年大河『江』は少しでも近づいてくれるのでしょうか。 赤髭個人としては物語後半の重要人物であろう徳川家康役の北大路欣也に期待大なのですが…はたして、どうなることやら( ・(,,ェ)・)。


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